青木大乗(あおきだいじょう)1894年–1979年
青木大乗は大正・昭和に活躍した日本画家です。 初め西洋画を学び、のちに日本画に転向して優れた作品の数々を残しました。 丹念な写生を基礎として描く静物画を得意としていましたが、その画風は古今東西の絵画の基本をなぞりつつ、独自の境地に達しているところに特徴があります。 また中央の画壇とは常に距離を置き、孤高の画家として活動したことも特徴のひとつで、美術団体に属さない「野武士的な画家」と評されました。
日本画の世界で独自の世界観を生み出した“野武士的”画家
1894年、青木大乗は大阪で生まれました。
1912年、京都関西美術院に入学したところから大乗の画家人生はスタート。美術院では西洋画を主に学んで才能を発揮しますが、のちに京都絵画専門学校に入学し直して今度は日本画を専攻します。
西洋画と日本画のいずれにおいても豊かな才能を開花させた大乗ですが、初めは西洋画が肌に合ったと見えて、学業を終えたあとは西洋画家の道を歩み始めます。 1923年、新燈社洋画研究所を設立。展覧会を開催して作品を発表し、高評価を得ました。
しかしやがて行き詰まりを感じるようになり、新燈社洋画研究所は10年あまりで解散してしまいます。 1935年からは日本画に取り組み始め、2年後の1937年には大日美術院を設立します。 設立メンバーには、青木大乗のほか、画家として活躍していた結城素明、川崎小虎が加わりました。
大日芸術院が目指したのは、従来の日本画を超越した“新日本画”を生み出すことにありました。 政府主催の官展で高評価を受けるのは、従来の伝統をなぞっただけの作品ばかり……ちょっと変わったことをすれば「伝統を無視するな」といわれ、新たな表現を模索しようとすれば「西洋かぶれ」といわれる、そのような息苦しいムードがあるではないか……と、大日美術院は主張しました。 そして、縛りのない大きな包容力でさまざまな才能を受け入れると宣言し、公募展を開催。さまざまな作品を世に送り出し、注目を集めます。
このように、一貫して「自分たちの手で世界を作り上げていく」という気概をもって絵画に挑んだ青木大乗。大きな組織に属さない大乗の姿を、人は「野武士的」と評しました。
そんな青木大乗は、1952年に大日美術院を解散。その後は海外を巡って見聞を広め、欧米や中国で目にした光景を作品化して発表します。 1979年に91歳で死去するまで、中央画壇とは一定の距離を取り続け、野武士的な画家として後半生を送りました。
青木大乗の代表作
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「鯛」
青い模様がほどこされた陶製の皿に置かれている鯛を描いた作品です。 繊細な筆遣いでウロコのざらつきを緻密に描出し、こまやかな陰影の表現を駆使して、まるまるとした脂の乗った鯛の姿を見事にあらわしています。 題材は素朴ですが、青木大乗ならではの独自の抒情がただよう傑作に仕上がっています。
その他、「香心」「古代土器」などが代表作として知られています。
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