
渡辺小華(わたなべしょうか)1835年‐1887年

渡辺小華は、主に明治時代に活躍した画家であり、江戸時代には有能な武士としても活躍しました。
江戸時代末期に「蛮社の獄」によって非業の最期を遂げた思想家・画家の渡辺崋山の次男であり、父の才能を受け継いで優れた画才を発揮。特に明治維新が成立して以降は画家として認知度を高め、花卉画を最も得意として数々の名作を世に送り出しました。現在、国内のさまざまな美術館や寺院に所蔵されている作品も多く、いずれも高い価値を誇ります。
父・渡辺崋山の才能を受け継いだ明治の日本画家
江戸時代後期の1835年、渡辺小華は当時の江戸で生まれました。
生家の渡辺家は、現在の愛知県東部に位置する田原藩の藩士で、父の渡辺崋山は有能な藩士として活躍するかたわら思想家・画家としてもその名を知られていました。しかし小華が幼い頃、「蛮社の獄」によって父は失脚し、江戸を追われて家族で国許に移り住みます。1841年、生計の道を絶たれて書画を売っていた崋山は「武士として見苦しい」などと言われるに及んで自害。幸いにも渡辺家は取り潰されることはありませんでしたが、渡辺家への風当たりは強く、小華は崋山の門人のすすめで江戸に赴き、画家の椿椿山に師事。入門当初は伸び悩んでいたものの徐々に父譲りの才能を発揮し、1851年には藩主の子の絵画の相手役を務めるまでになります。師の死後は画家として独立しますが、渡辺家を継いでいた兄が死去したことを受けて家督を継ぎ、渡辺家当主となります。田原藩の筆頭家老・村上範致の後押しもあって1864年に家老に就任した小華は、それから明治維新が成立するまで有能な重臣として活躍。天下分け目の戊辰戦争が勃発した際には、老齢の筆頭家老に代わって藩の代表を務めることもあり、維新後は実質的な藩の代表者となって政治にあたることになります。その後、廃藩置県が行われて田原藩が消滅すると、小華は侍の道を離れて画家に専念することにします。以後は、1873年のウィーン万国博覧会に作品を出品したり、1877年の第1回内国勧業博覧会で賞を獲得したりと、気鋭の日本画家として活躍。こうして画家として充実した後半生を送り、52年の生涯をまっとうしました。
渡辺小華の代表作
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「渉園九友図」
愛知県の豊橋市美術博物館に所蔵されている作品で、花卉画を最も得意とした小華ならではの傑作に仕上がっています。色とりどりの花々が繊細に描かれており、花弁のふっくらとした質感や優しい色合いが見る人の心に残ります。
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「白菜図」
静岡県の静岡県立美術館に所蔵されている作品で、文字通り野菜の白菜を描いたものとなっています。気軽に筆をとって描かれたと思われるのびやかさの感じられる作品で、数ある小華の作品を代表する傑作というものではありませんが、白菜のみずみずしさを見事に表現している点は特筆に値します。
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