
狩野探幽(かのうたんゆう)1602年‐1674年

狩野探幽は江戸時代初期に活躍した画家です。
日本絵画界でもっとも大きな画派とされている「狩野派」の家系です。探幽の作品の特徴はテーマに合わせて輪郭など「線」の強弱、墨の濃淡を使い分けていること、あえて余白を活かし、粋な印象に仕上げた作品が多いことなどが挙げられています。
日本画名家の長男として生まれた狩野探幽
狩野探幽は室町時代から続く「狩野派」を引き継ぐ絵師・狩野孝信の長男として生まれました。祖父は安土桃山時代を代表する画家、狩野永徳で織田信長、豊臣秀吉といった天下人に仕え、安土城、大阪城などの障壁画を制作したことでも知られています。 こうした画家の名家に生まれた狩野探幽は10歳という若さで徳川家康との謁見を果たし、1617年には江戸幕府専属絵師として活動することとなりました。 1621年、本拠地を江戸に移した探幽は江戸城、二条城、名古屋城の絵画に関わり花鳥図、人物画、山水画などを手がけました。 1623年、狩野家の分家とされる「鍛冶橋狩野家」を興します。残念ながらこの家系から有名画家はそれほど多く輩出されませんでしたが、「探幽四天王」と呼ばれる弟子や「鶴澤派」の始祖・鶴澤探山(つるざわたんざん)といった有名画家を育てた狩野探幽。晩年も数々の作品を生み出し、1674年に永眠しました。
主な作品について
狩野探幽の作品は大きく3つの年代に分けられており、34歳ごろまでは「宰相・釆女(うねめ)時代」、34~60歳までは「斎書き時代」、晩年は「行年(こうねん)時代」と呼ばれています。 若き日の作品の特徴は、偉大な画家であった祖父狩野永徳の画風を思わせるようなものだったといわれていますが、徐々に水墨の性質、余白を活かしたものが増え、探幽独自の「余白の美」が確立されるようになったといいます。 代表作の中には名古屋城の障壁画である『四季花鳥図(雪中梅竹鳥図)』、大徳寺の『四季松図(六曲一双)』などがあります。また、大阪城天守閣に保管されている徳川家康像を描くなど、人物画の絵師としても高く評価されていました。
また、『八尾狐図』は徳川家光の夢を絵にしたもの。病に伏せていたときに夢に出てきた八尾の狐に「病気が良くなる」と告げられた家光は、これを探幽に描かせたといいます。本作品には家光が直筆で「十月九日」と日付を、そして「家光」の印が押されています。
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