森田恒友(もりたつねとも)1881年–1933年
森田恒友は、大正から昭和にかけて活動した画家です。
当初は洋画家として活動しており、ヨーロッパにも赴いています。しかし帰国後、国内を旅する中で水墨画の表現が日本の風景に適していると判断し、以降、自然風景を題材にした日本画を多く発表するようになります。
また、1929年には帝国美術大学(現・武蔵野美術大学、多摩美術大学)の創設に携わったのち、同校の洋画科主任教授に就任。後進の育成にも励みました。
そのほか、江戸時代中期以降に流行した南画の伝統を、近代絵画に蘇らせた人物の1人としても知られています。
自然やそこに暮らす人々の情景を愛した画家
森田恒友は1881年、埼玉県幡羅郡玉井村(現・熊谷市久保島)に生まれました。
洋画家を志して1901年に上京。洋画家・小山正太郎主宰の画塾・不同舎で学びつつ、同じく洋画家の中村不折に師事して腕を磨きます。
1907年には石井柏亭や山本鼎といった洋画家たちと美術詩『方寸』を創刊。またこの年、第1回文展に「湖畔」を出品し、見事に初入選を果たします。さらに翌年には新進気鋭の若手画家たちが集う場として「パンの会」の発足に立ち合うなど、日本洋画界を担う1人として幅広く活躍しました。
その後、1914年、絵の腕をさらに磨くために渡欧した森田は、印象派の画家を代表するポール・セザンヌの影響を強く受けます。 しかし帰国後、国内を旅するうちに、自身の水墨表現が日本の風景に適していることに気づき、日本画を中心に描くようになります。 こうして日本の自然風景をとらえた柔らかな筆致の作品を多く描くようになった森田は、1922年、春陽会の創設に参加。1929年には帝国美術学校の創設に携わり、同校の教授を務めるなど、よりいっそうの活躍を見せます。 1933年に惜しくもこの世を去りますが、最晩年まで自然の美しさを見事に写生した、誠実な作品を描き続けました。
森田恒友の代表作
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「湖畔」
1907年の第1回文展で初入選を果たした代表作です。 深みのある緑を基調にして描かれており、幻想的で神秘的な情景が見事に表現されています。 初期の頃の作品とは思えないほどに洗練された構図、色使いが特徴的で、森田の才能の高さを示す作品といえるでしょう。
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「会津風景」
1916年に描いた作品で、素朴な風景の広がる会津の村が描かれています。 柔らかなタッチ、色調で描かれており、懐かしさやぬくもりを感じさせる郷愁ただよう作品に仕上がっています。
そのほか、「房州風景」「山麗」などが代表作として知られています。
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