津田青楓(つだせいふう)1880年–1978年
津田青楓は明治・大正・昭和にかけて活躍した日本画家です。
四条派の日本画を学びつつ図案家・装幀画家として活躍。また西洋画の影響を受け、独自の世界観を確立。さらに昭和初期には軍国主義的な国家のありように疑問を抱き、プロレタリア作家・小林多喜二が官憲に虐殺された事件をきっかけに陰惨な代表作「犠牲者」を描くなど、反骨精神に満ちた画家として活動しました。2020年には回顧展が開催されるなど、その業績が見直されている画家のひとりであり、作品はいずれも高い価値を誇ります。
プロレタリア美術の世界で活躍した反骨の画家
1880年、津田青楓は京都府に生まれました。
生家は華道の家元でしたが、青楓は絵画の道に進みます。伝統的な四条派の絵画を学び、17歳で京都市立染織学校に入学。卒業後は学校にとどまって助手を務めます。
また、1899年にはあらためて関西美術院に入学。日本画・洋画を学びつつ高島屋に勤め、図案家(デザイナー)として働き始めます。
1907年、農商務省が主催する海外留学事業において留学生のひとりに選ばれ、フランスへ。2年間の間に洋画を学び、フランスで盛んになっていたアールヌーヴォーの影響を受けるようになります。 帰国後は二科会に参加。ここで作品を発表します。 またそのかたわら、作家の夏目漱石と交流。漱石の自伝的小説といわれる『道草』や、未完の作品となった『明暗』の装幀を手がけています。そのほか、漱石の弟子で『煤煙』などの話題作を書いていた作家・森田草平の『十字街』の装幀も行っています。
1930年代にはプロレタリア美術の世界に入り、代表作となった「犠牲者」などを描きます。このとき、警察に目を付けられて留置所に入るなど弾圧を受けたこともあったようですが、すぐに釈放されています。 以後は戦中・戦後を通して日本画家として活動を続け、後半生を送りました。
津田青楓の代表作
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「薔薇鶏之図」
繊細な描写と淡い色彩で、咲き誇るバラとその下にたたずむ鶏を描いた作品です。 二科展に参加して盛んに制作していた絶頂期の頃の作品で、現在は笛吹市青楓美術館に所蔵されています。
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「犠牲者」
1933年、『蟹工船』で知られるプロレタリア作家の小林多喜二が特高警察によって虐殺されるという事件が起きました。この事件を契機に、青楓はボロボロになるまで痛めつけられて吊るされる人物を描いたこの作品に着手します。当時、プロレタリア芸術は専ら文学によって成り立っており、絵画などの美術ではあまり成功作がありませんでした。そんな中に登場した「犠牲者」は、見る人の心に深く刺さって訴えかけるものを持つ社会性のある作品として、高い評価を受けました。
その他、「ブルジョワ議会と民衆の生活」などが代表作として知られています。
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