長野県で骨董買取をお考えなら日晃堂
長野県では、約1110点以上の骨董品買取実績があり、年々お問い合わせ件数とご依頼件数が増加しております。長野県全域が買取対象エリアですので、お気軽にお問い合わせください。
長野県の松代町にある真田宝物館には備中青江派の傑作である【大太刀(青江)銘備中国住人】があります。この【備中国住人】は真田幸村の叔父にあたる真田源太左衛門尉信綱が使用していた太刀とされ、青江貞次の鍛えた太刀として長篠の戦にも使用されたものであり、真田家が後世に残した名刀です。長野県は信濃の国として歴史の表舞台になることが多かった地域でもあり、戦国時代の名残として数多の刀剣が残されているとされています。
また、長野は豊かな森林資源に恵まれたため、木曽漆器を含む漆などの工芸や、信州紬などの着物製品でも有名ですね。長野で作られた工芸品が年月を経て、希少価値の高い骨董品になったものも長野県には多く眠っております。そんな長野県に眠る骨董品の高価買取であれば、日晃堂へお任せください。どんなに遠方であっても、買取の出張費は一切頂いておりません。長野県のどの地域にお住まいでも、お気軽に当店の出張査定をご利用ください。
長野県の骨董品買取実績
大渕光則 純金「製蓮飾り」をお買取りしました
長野市にお住いのお客様から大渕光則作の純金製蓮髪飾りなどをお買取り致しました。お買取りしたお品は純金が使用されている上に、傷や汚れもほとんどなく、付属品もそろっていることから価値に見合った高額買取になりました。日晃堂では、金銀製品の買取も力をいれています。長野県で金属製品の売却をお考えの方は、ぜひ一度ご相談ください。
長野県長野市 60代女性
香取秀真 和気朝臣清麻呂公銅像をお買取りしました
松本市のお客様のところへ、蔵の整理で買取の依頼があって、ご自宅までお伺いしました。たくさんのお品物を買取させて頂きましたが、中には香取秀真の作品もございました。傷なども少なく買取価格も頑張らせて頂きました。他のお品物と合わせてかなりの金額になり、とても喜んでいただけました。長野県で骨董品の買取をご検討の方は、日晃堂にご相談ください。
長野県松本市 50代男性
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買取日:2023/11/29
長野県上田市カラーワイングラス6客
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買取日:2023/11/29
長野県駒ケ根市天保小判金 背面「川・神」
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買取日:2023/10/20
長野県岡谷市フロレンティーン スクエアプレート
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買取日:2023/10/31
長野県諏訪市天球「大明」
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買取日:2023/11/19
長野県小諸市ラッセン「ニューライフ」
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買取日:2023/10/22
長野県飯田市ブルーオーキッド ティーC&S
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買取日:2023/11/18
長野県中野市日本刀(真剣)銘なし
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買取日:2023/11/3
長野県佐久市旧二圓金貨 明治三年
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買取日:2023/11/18
長野県安曇野市小泉北邨「山水図双幅」
最新の買取実績
※買取価格は季節や年数により相場が変動します。掲載されている買取価格は参考価格で買取価格を保証するものではありません
※食器など世の中に同様の商品が複数存在しているお品物は過去に買取をした類似商品の画像を掲載している場合がございます。
その他の骨董品の買取実績はこちらからご確認ください
どこよりもまごころこめて買取
こんな方々からご依頼をいただいてます
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持っている物の価値を知りたい
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遺品整理をしたい
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家・蔵などの整理をしたい
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自営業時のものを処分したい
他にも様々な方からご依頼をいただいております。お気軽にお問い合わせください。
骨董品ってどんなもの?
はじめての方でも安心して
ご利用いただけます
日晃堂で骨董品・古美術品を売るのはとてもカンタンです
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01
お問い合わせ
電話、LINE、メールで
らくらく
お申し込み。 -
02
査定
出張買取は全国どこでも。
店頭や宅配もお気軽に。 -
03
お支払い
即!その場で現金お手渡し。
※宅配買取は振込
ご都合に合わせて選べる
買取方法
買取についてのご相談・ご依頼はコチラ
丁寧に対応させていただきます。
些細なことでもお気軽にお電話ください。
骨董品・古美術品の相談をする
0120-961-491
日晃堂をご利用された長野県のお客様にご感想をお聞きしました
査定士から聞いたお客様とのやりとりの一部を抜粋して記事にしております。
日晃堂さんに依頼してよかった
お買取りしたお品物: 勲三等瑞宝章
私は勲章や軍装品を集めるのが好きで、よく骨董品ショップに足を運んでいました。しかし定年退職後に病気をして生前整理を意識するようになったこともあり、思い切って手放すことに。日晃堂の査定士さんは本当に対応もよく、依頼してよかったです。
長野県松本市 70代男性
瑞宝章の中央の部分は、『古事記』に記されている三種の神器のうちのひとつ、「八咫鏡(やたのかがみ)」と呼ばれるものであることを初めて知りました。勲一等から勲六等まで、基本的なデザインは同じようですが、等級によって勲章そのものの大きさも変わるそうです。査定士さんは本当に知識が豊富で、歴史好きの自分としてはとても勉強になりました。
鑑定士より
この度は日晃堂にご依頼いただきありがとうございます。今回の勲三等瑞宝章は非常に状態もよくお値段も頑張らせていただきました。 日本では勲章の返納制度がないため、多くの方がご家族で所有されています。階級によってはほとんど市場に出回りにくく、偽物が多いといわれていますが、日晃堂ではしっかりと本物を見極める査定士が在籍しています。「価値を知りたい」というご要望も大歓迎ですので、一度当店にご依頼くださいませ。
期待以上の価格で買い取ってもらえました
お買取りしたお品物: 赤珊瑚の原木2本
40を過ぎてから夢中になった赤珊瑚ですが、娘たちは興味がないということだったので、買い取ってもらうことにしました。珊瑚に詳しい査定士さんがいるということで日晃堂さんに依頼しましたが、今後は機会があれば珊瑚以外でもお世話になりたいと思います。
長野県松本市 50代男性
私はいままで購入者として珊瑚を見てきたので、ある程度の相場はわかっていたつもりでしたが、正直ここまで高く買い取ってもらえると思いませんでした。中古品になればかなり金額が下がることは覚悟していたのですが、年々珊瑚の価格が高騰していること、珊瑚の色、質がいいことから高価買取の対象になったようです。思い切って依頼してよかったです。
日晃堂よりお礼の言葉
この度は日晃堂にご依頼いただきありがとうございます。今回お買取させていただいた赤珊瑚の原木は、枝部分が太く、全体の大きさも見事なものであったことから、買取金額も頑張らせていただきました。 当店では赤珊瑚の買取を強化しています。鑑定書がなくてもかまいません。珊瑚に精通した査定士が査定を行いますので、ご売却の際はぜひ当店にご相談くださいませ。
このような骨董品の処分にお困りではありませんか?
※状態によっては買取をお断りする場合もございます。
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実家に眠っている
大量の骨董品 -
売れそうにない
古い骨董品 -
作家や価値が
不明の骨董品 -
破損や汚れのある
骨董品
骨董品は一般の方にとっては価値を判断しづらいお品物で、一見すると何の価値のないボロボロのお品物が、とんでもない価値を秘めていることも少なくありません。 実際に今までに捨てようと考えていたお品物が、有名作家の作品で数百万円の買取価格が付いたこともございます。 長年、多くの骨董品を鑑定・査定してきた日晃堂は目利きに絶対の自信がございます。どのような骨董品でも経験豊富な査定士がしっかりと査定し、価値に見合った買取価格をご提示いたします。 査定は無料ですので、どのようなお品物でもお気軽にご相談ください。
※一部離島からのご依頼に関してご対応できない場合がございます。 また、季節や交通状況等により出張査定が難しい場合は、宅配買取をご案内する場合がございます。
はじめての方でも安心して
ご利用いただけます
日晃堂で骨董品・古美術品を売るのはとてもカンタンです
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01
お問い合わせ
電話、LINE、メールで
らくらく
お申し込み。 -
02
査定
出張買取は全国どこでも。
店頭や宅配もお気軽に。 -
03
お支払い
即!その場で現金お手渡し。
※宅配買取は振込
ご都合に合わせて選べる
買取方法
長野県での骨董品買取エリア
長野県の市
長野県の町村郡
長野県では
出張買取が好評です
日晃堂は出張・宅配・店頭と買取方法がありますが、長野県のお客様から特にご好評いただいているのが『出張買取』です。
どうして出張買取が選ばれるの?
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一番良い状態のまま
査定を受けることができる骨董品はデリケートなお品物が多く、宅配や店頭への持ち運びの際に傷がついたり破損したりする危険性があります。
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大きいもの、重い物でも
楽チン査定ご自宅に査定員が伺うので、仮に1mを超えるような大物でも問題なく査定ができます。
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日本全国出張費0円の
安心サービス日本全国どこでも出張費はいただきません。たとえ査定だけのご依頼でも、もちろん0円です。
出張買取のサービスや詳しい詳細はこちらをご覧ください!
店頭買取の詳細を知りたい方はコチラをご覧ください。
長野県にゆかりのある骨董品・作家・作品
長野県ゆかりの刀工・源清麿
源清麿(みなもと・きよまろ)は江戸時代後期に活躍した刀工であり、水心子正秀、大慶直胤と並ぶ新々刀期の「江戸三作」の1人としても有名です。本名は山浦環(やまうら・たまき)。兵学の師である旗本の窪田清音から「清」の字をもらって「清麿」を名乗りました。
波乱続きの生涯を送り、また刀工としての腕前が群を抜いて秀でていることから、幕末に活躍した刀工の中でも抜群の人気、知名度を誇ります。
また、剣術の腕も秀でており、鍛刀の傍らで門下生に稽古をつけていたという逸話も残されています。
そんな源清麿は1813年、信濃国小諸藩赤岩村(現在の長野県東御市)にて、藩の名主・山浦昌友の次男として生まれました。 兄・真雄と一緒に上田藩の刀工・河村寿隆に師事して技術を磨きます。
とはいえ、当初は武士を志しており、1834年には剣術を学ぶために江戸に上り、窪田清音の門を叩きます。しかし、清音から刀工としての才能を高く評価されたことをきっかけに、作刀に専念するようになります。 1839年、清音が1人300両掛け、つまり「300両で1口作る」という武器講を募ったところ、すぐさま100口に及ぶ応募が殺到。このとき、最初に手掛けたのが、現在重要美術品に指定されている「山浦環正行天保十年八月日武器講-百之一」と銘打たれた刀です。 しかし1842年、清音は武器講を完遂することなく姿を消し、約2年もの間、長州荻で過ごします。 これについては諸説ありますが、藩改革の主要人物・村田清風に招かれ、萩で作刀に励んでいたという説が有力視されています。 江戸に戻った清麿は、恩師である清音に「為窪田清音君 山浦環源清麿製」と銘打った長刀を贈与。 その後、現在の新宿区三栄町にあたる四谷北伊賀町に移り住んだことから、名工・相州正宗になぞらえて「四谷正宗」という異名がつきます。 しかし、若い頃から繰り返していた過度の飲酒によって脳震盪を起こし、このことに悲観。1854年、42歳という若さで自害し、その人生に終止符を打ちました。
源清麿の代表作 40年余りの短い刀工人生を送った源清麿は、生前にいくつもの名刀を手掛けています。 太刀や短刀、薙刀、脇差など、その種類は豊富で、いずれも切れ味が鋭く、地鉄や刃文に独特のこだわりが見られるのが特徴です。 作風は相州伝に倣っており、刃文は「互の目乱れ」や「互の目丁子」が多く見られます。 また、「刀身の反り具合が浅く、それでいて身幅は広い」「“白髪筋”と呼ばれる銀筋が平地に現れる」といった特徴も見られます。
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