
小川芋銭(おがわうせん)1868年–1938年

小川芋銭は、明治から昭和にかけて活躍した画家です。
漫画や日本画など、さまざまなジャンルの絵画作品を残しています。専業の画家ではなく、農家と兼業で営んでおり、雅号である「芋銭」には「芋を買えるくらいの銭が絵で稼げれば」という思いが込められているといわれています。しかし実際のところ、芋銭の作品は高い価値を誇り、現在では贋作が多い画家のひとりとして知られています。
画家人生をひょうひょうと生き抜いた漫画家・日本画家
小川芋銭は、年号が明治と改まり、新時代が幕を開けた1868年に東京で生まれました。
生家は現在の茨城県に領地があった牛久藩の武家であり、芋銭は藩の江戸屋敷で誕生しています。
少年時代を新治県(現在の千葉・茨城県境)で過ごし、1880年から洋画家・本多錦吉郎のもとで絵画を学びます。25歳のときに農業を開始しますが、その頃にはすでに画家としてのキャリアがありました。 さかのぼること5年前、20歳の芋銭は東京の新聞「朝野新聞」で挿絵画家として活動していたといわれています。その後も、農業に従事しつつ「茨城日報」などで筆をとっています。
こうして、明治の世を新聞や雑誌の漫画・挿絵画家として過ごした芋銭。大正・昭和期には日本画家としての活動も本格化させます。 独自の作品世界を構築していた画家・川端龍子をはじめとする新進気鋭の画家たちとともに珊瑚会を結成。その展覧会で発表した作品が横山大観の目に留まり、日本画の革新を目指していた日本美術院の同人に迎え入れられます。 その後は中央の画壇で認められる画家として活躍。死の3年前にあたる1935年には帝国美術院の参与という要職につき、画家としての名声を得ます。 死去するまで73年の生涯を全うしました。
小川芋銭の代表作
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「水魅戯」
水辺の不可思議な生き物たちに魅せられ、妖怪や魑魅魍魎のたぐいを好んだ芋銭は、1923年に水魅(すいみ=水辺の生き物たち)を描いたこの作品で高く評価されました。画面の中央で水草を担ぎ、かかげて笑顔で語らっているように見えるのはサンショウウオとカワウソ。絶妙に擬人化された2匹の水魅を中心に、たのしげな水辺の世界を豊かなイマジネーションのもとで表現しています。 現在は、茨城県近代美術館に所蔵されています。
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「狐隊行」
狐の隊列がススキの野を行く姿を描いた作品です。1930年に発表されました。 童話の一場面のようなユーモラスでのどかな風景が、雑味のない清明なタッチで描かれています。まるで少年の夢がそのまま形になったかのような作品であり、見る人の心を洗うような清らかさがあります。 この作品も、茨城県近代美術館に所蔵されています。
その他、「海島秋來」「聴秋」などが代表作として知られています。
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