「天下三名槍」についてご存知でしょうか…?
天下三名槍とは、「御手杵」「日本号」「蜻蛉切」、3つの名槍(3振)の総称のことです。刀剣の世界では非常に有名な槍で、某人気ゲームやアニメでも取り上げられるほど、知名度は抜群ですね。
このコラムを読んでいただくことで、「天下三名槍」に関する基礎知識が手に入ります。
ぜひ最後までご覧ください!
天下三名槍と同じく刀剣の世界で有名な「賤ヶ岳の七本槍」について、下記の記事でご紹介しております。
興味のある方は、合わせてご一読ください。
▶【賤ヶ岳の七本槍】とは?7人の若武者についてご紹介します!
天下三名槍(てんかさんめいそう)とは?
天下三名槍とは、「御手杵(おてぎね)」「日本号(にほんごう)」「蜻蛉切(とんぼきり)」、高名な3本の槍のことを指します。
「天下三名槍(てんかさんめいそう)」は、「天下三槍(てんかさんそう)」ともいいます。
江戸時代、「西の日本号、東の御手杵」に並び称されるようになったのが「蜻蛉切」で、明治時代にはこの3本の槍は、「天下三名槍」と呼ばれるようになったと伝えられています。
天下三名槍のうち「御手杵」は、1945年(昭和20年)3月10日に起きた東京大空襲で焼失したため、現存しません。
天下三名槍は日本刀ブームの火付け役として知られるオンラインゲーム、「刀剣乱舞」で擬人化されており、このゲームをこよなく愛する「刀剣女子」には、馴染みのある槍としても知られていますね。 また、天下三名槍は人気推理マンガ、「名探偵コナン」のストーリー内で紹介されたこともあります。
非常に有名な3振なので、刀剣のことをあまり詳しく知らない方でも、「天下三名槍」という名を一度は聞いたことがあるかもしれませんね。
「天下三名槍」の各詳細については、下記よりご紹介します。
御手杵(おてぎね)
天下三槍の一つで”東の御手杵“と称される「御手杵」は、室町時代に下総国結城の大名「結城晴朝」が作らせ、養嗣子の「結城秀康」に伝わった後に、「松平大和守家」が受け継いだ大身槍です(先の尖った刃が一尺以上ある長い槍のこと)。
「御手杵」は駿河国嶋田(現在の静岡県中部)の刀工、「島田義助(しまだぎすけ)」の代表作となる槍です。 島田義助は「五条義助」とも称した名工で、室町時代中期から江戸時代中期にかけて代を重ねた、「島田派」と呼ばれる刀工一派の4代目です。島田義助の技量は極めて高く、槍の名工としても広く知られています。
東京大空襲で焼失したため本槍は現存しませんが、古文献によると「御手杵」は刃長だけでも4尺6寸(約139cm)あり、切先から石突までの拵えを含めた全長は約3.8mもあったと伝えられています。さらに、拵も含めた総重量は22.5kgと、天下三名槍の中では最も長大で最も重い槍です。
現存資料をもとに静岡県島田市の有志によって、御手杵の模造品による復元が図られました。「結城氏初代朝光の没後750年祭」のタイミングに合わせ、2003年に御手杵のレプリカが静岡県島田市から、茨城県結城市に贈呈されました。
贈呈されたレプリカは、結城市内にある「結城蔵美術館」にて展示されています。
日本号(にほんごう/ひのもとごう)
天下三槍の一つで”西の日本号“と称される「日本号」は、室町時代後期に作られたとされる槍です。
槍本体の重さは912g、刃長は2尺6寸1分5厘(79.2cm)もある大身槍で、後に解説する「酒は呑め呑め〜」で有名な、「黒田節」の逸話にも登場します。
日本号は「正三位」の位を賜ったという伝来から、「槍に三位の位あり」と謳われ、その完成度の高さは大身槍の中でも”究極の存在”とされています。「正三位」とは上級貴族の位階で、30まである位階のうち上から5番目に位置するほどの、上級貴族の位階です。日本号は槍でありながら、上級貴族と同じ位を朝廷から授けられていることから、どれほど高く評価されているかを窺うことができますね。
「日本号」は作者不明の無銘ですが、大和国(現在の奈良県)で活躍していた刀工一派、「金房(かなぼう)」派の作と推定されています。元来は御物(皇帝の所有物)で皇室が所蔵していましたが、「正親町天皇」より室町幕府15代将軍「足利義昭」に下賜され、その後は、織田信長経て豊臣秀吉の手に渡り、秀吉に仕えた「福島正則」が所用。
しかし、下記でお伝えするエピソードがきっかけで、正則から「母里友信」が使い手となります。その後、幾人もの手を経た日本号は現在、「福岡市博物館」の所蔵品となっています。
上記でも少し触れましたが、「日本号」は福岡県福岡市の民謡、「黒田節(くろだぶし)」で謳われた”日の本一の槍”としても有名ですね。 黒田長政の家臣で酒豪でもあった「母里友信(もりとものぶ)」が、主君の使者として失礼がないよう酒を禁じられていたものの、命令を破って「福島正則」と酒を呑んだことがきっかけとなり、正則から「日本号」をもらい受けた話が黒田節で謳われています。
日本号はこの逸話に重ね合わせ、別名で「呑み取りの槍」とも呼ばれていますね。
日本を代表する名槍の日本号ですが、現在は「福岡市博物館」で常時展示されています。
蜻蛉切(とんぼきり)
天下三槍の一つである「蜻蛉切」は、室町時代に作られたとされ、静岡県の県指定文化財に指定されています。
槍本体の重さは498グラム、刃長は1尺4寸(43.7cm)ある大身槍で、三河文珠派の刀工「藤原正真(ふじわらまさざね)」作の大笹穂槍(おおささほやり)です。大笹穂槍は槍身の種類のことで、その名通り笹の葉のような広く長い形と、先端の鋭い刃が特徴です。その切れ味は、槍先に止まった蜻蛉(とんぼ)が、そのまま真っ二つに切れてしまったという逸話が存在するほどで、”蜻蛉切”という名前の由来にもなっています。
三河文珠(みかわもんじゅ)派の、”三河”は愛知県東部にある地域のことで、徳川家康に代表される地域としても知られていますね。三河で刀剣を作っていた三河文殊派は、妖刀とも謳われる刀を数多く作り、切れ味抜群の良さを誇る刀工「村正」の分派であることからも、「蜻蛉切」の由来にもなった切れ味の良さを推測できます。
「蜻蛉切」は徳川家に仕えた戦国武将、「本多忠勝(ほんだただかつ)」が愛用した名槍としても有名ですね。徳川四天王の1人に数えられた「本多忠勝」は、とにかく強い武将だったことで有名で、生涯57回の合戦に出陣するも、かすり傷ひとつ負わなかったといわれているほどです。
「本多忠勝」の死後は子孫の本多家に伝来した「蜻蛉切」ですが、戦後には実業家で多数の美術品コレクションを収集したことで知られている、「矢部利雄」氏の手に渡りました。矢部氏の死後は、静岡県にある美術館に寄託されました。
寄託先の「佐野美術館」では、「蜻蛉切」の特別展示会も定期的に実施されています。
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今回の日晃堂コラムは、「天下三名槍」についてご紹介させていただきました。
天下三名槍とは、「御手杵」「日本号」「蜻蛉切」と呼ばれる3本の名槍のことです。
「刀剣乱舞」というゲームの影響もあり、最近では”刀剣女子”を中心とした日本刀ブームが起きています。
その影響もあり、刀剣乱舞と美術館等がコラボした特別展示会も増え、会場が若い女性で賑わうことも珍しくはありません。
天下五剣と同じく、当コラムで取り上げた「天下三名槍」もゲーム内で擬人化される等、日常生活の中で触れる機会も増加していることから、刀剣に対して親しみを感じている方も少なくないのではないでしょうか。
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