千葉県にお住いのお客様より買取した、九代目大樋長左衛門の茶碗について紹介します。目立った傷もなく状態も良かったのでお客様の予想を超える高値で買取することができました。
☆大樋長左衛門とは
初代大樋長左衛門は大樋焼を創始し、江戸時代の陶工として活躍した人物です。河内生まれで屋号は荒屋、号は臘月庵といいます。もともとは土師長左衛門と呼ばれており、明暦2年から楽家四代目一入に学ぶことになります。寛文6年には加賀藩第5代藩主・前田綱紀から、裏千家家元・4代目千宗室が茶堂茶具奉行として招待をうけたとき、ともに加賀藩を訪れ、そこで楽焼の脇窯大樋焼を始めます。その後河北郡大樋村にて藩の焼物御用を務めることになります。明治時代以降、大樋焼は藩の御庭焼の地位をなくすことになりますが、いち窯元として製作を続けていきます。
疲弊した経済の中で文化や芸能に恵まれない時代が続いたことで、その当時の作品には、おおらかさや豊かさが感じられなくなっています。とはいえ時はたち、昭和の茶陶ブームを迎えると、茶道愛好家らによって全国に広められるようになりました。
このようにして始まった大樋長左衛門は、昭和2年に九代目が襲名しています。九代目が製作を行った70数年は日本経済、文化の振興の時代と重なり、陶芸家にとっては非常に良い時代だったとされています。九代目は、初代以来続いてきた手捻りによる茶陶づくりに尽力しました。胎土にも歴代が使用してきた大樋村産の陶土を使うことにこだわり続けました。昭和11年には大阪阪急百貨店に出品した「茶碗」が注目を集め茶陶の名工と称されるようになりました。戦争が終わったのちも茶碗を作り続け、様々な品評会で入選します。大樋焼の伝統を十分に表現した茶陶は、大樋長左衛門という名を守り続け、人生をかけて作家であり続けた九代目の人間味を映し出していると言えるでしょう。さらに裏千家から淡々斎茶道文化賞も受賞し、晩年は黒茶碗という高台を土見せとしたものを主に手掛けていました。悠々自適な余生を過ごしながら、昭和61年86歳でこの世を去ります。
☆九代目大樋長左衛門の茶碗
大樋焼の特徴は、初代から続く鉄釉を酸化焔焼成した「飴釉」にあります。それに加え、砂気が少ない陶土で、薄作りの茶碗であることが魅力のひとつです。お家芸ともいえる飴釉作品は、粘り気の強い釉の肌ざわりと、大胆さが特色でもあります。四代目以降には、「幕釉」と呼ばれる黒楽釉を珍重するようになります。九代目の茶碗は、この黒幕釉に秀でた陶才を感じるもので、高い評価を得ています。自身も、本格的に黒楽茶碗に力を入れるようになり、60歳を過ぎたころから納得のいく作品が完成するようになったという言葉を残しています。派手ではない無為のものを作るのは難しいとしながらも、果敢に無為の美しさのある作品の制作に力を注ぎ続けました。無為でつくって頭が下がるほどの作品を作るという九代目の信念は、趣深く存在感のある茶碗を多く生み出しています。
今回買取させていただいた九代目大樋長左衛門の茶碗も、美しい艶がその作品の特徴を感じさせるものでした。独特のフォルムでありながら、手にもつとしっくりなじむ魅力があり、非常に貴重な作品です。
☆さいごに
大樋焼九代目窯元である大樋長左衛門は、抹茶碗の名人として知られる人物です。飴釉や黒幕釉による美しい作品の数々は、高い評価を得ています。そのため日晃堂は九代目大樋長左衛門の作品を高価買取しています。大樋長左衛門の茶碗に限らず、日晃堂では価値ある焼き物の高価買取が可能です。