佐賀県佐賀市で井上萬二の酒器・皿・風鎮を買取しました。今回のお客様は、蔵の建っている場所に別棟を建てるため、中を整理していらっしゃるとのこと。蔵の中にある品物を何点か見せていただくことになりました。地元作家の作品を中心に、数多くの陶磁器を保有されているお客様です。
今回は井上萬二の白磁や青白磁のみを見せていただきましたが、また近いうちに他のものも見せていただく予定です。ちなみに、今回買い取らせていただいたのは、白磁の徳利1点、白磁のぐい吞み3点、白磁の組皿3点、青白磁の組皿1点、白磁皿2点、白磁彫文皿1点、白磁彫文風鎮1点の計12点です。多少汚れは見られましたが目立った傷はなく、いずれも共箱や栞が揃っているコンディションのよい品物でした。
☆井上萬二とは
井上萬二は、佐賀県西松浦郡有田町出身の陶芸家です。華やかな色遣いが印象的な有田焼の中にあって、シンプルな色使いの白磁や青白磁にこだわりを持つ作家です。白磁やろくろの技術の高さから1995年には重要無形文化財「白磁」保持者として人間国宝に認定されました。
1929年3月24日、有田町の窯元の家に生まれた井上萬二は、若いころは軍人を志していたため、15歳のときには海軍飛行予科練習生になっています。そのため、本格的に陶芸を始めたのは、戦後復員してからでした。父のすすめにより12代酒井田柿右衛門の窯で働き始めたのが陶芸家としての出発点です。
作風の転換期は酒井田柿右衛門窯で修行を開始してから7年ほど経ったころ。有田白磁のろくろ使い名手・奥川忠右衛門の作品に出会ったのがきっかけです。その作品に感銘を受けた井上萬二は、白磁やろくろの技術を学ぶために奥川忠右衛門の門下生になりました。1958年には酒井田柿右衛門窯を退職し、県立有田窯業試験場の技官になりますが、試験場の技官として働き始めてからも独自の釉薬や意匠の研究は並行して続けていました。
1969年には、アメリカのペンシルベニア州立大学からの招きで、約5カ月間にわたりアメリカで有田焼の講師として働くことになります。その後も、ドイツなど数か国で個展を開き、モナコでは国王の在位45年を記念した展覧会に作品を出品するなど、海外での活動も精力的に行ってきました。とはいえ、活動拠点を海外に移したわけではなく、国内でも地道に活動を続けたため、日本国内の工芸展でも複数の受賞歴があります。1995年の人間国宝認定に続き、1997年には紫綬褒章も受章しました。現在は、日本工芸会参与、有田陶芸協会顧問として、後進の育成にも力を入れています。
☆井上萬二の酒器・皿・風鎮
井上萬二の酒器には徳利とぐい呑みがありますが、徳利は比較的数が少ないため希少性があります。ぐい飲みには、シンプルな造形の白磁や青白磁のものから、青海波文が施されたものや様々な彫文が施されたもの、花びらのようなねじりが入ったものなど種類が豊富です。シンプルな白磁のぐい吞みでも、井上萬二の卓越したろくろ使いによって生み出された作品には際立った趣があります。
皿に関しては、大皿はシンプルな白磁や彫文が施された白磁のものがほとんどですが、組皿になると青白磁のものも見られます。凝った意匠を用いるよりも、滑らかでゆがみのない美しさを活かし、風格ある作品に仕上げている点が特徴です。
掛け軸や書の錘と飾りを兼ねている風鎮には、球形と円筒形のものがあり、無地の白磁の他、彫文が施されたものや染付花文が施されたものがあります。風鎮は脇役的な品物ですから主張が強すぎるものは実用性に欠けますが、端正な美しさが魅力の井上萬二の風鎮は、芸術性と実用性を兼ね備えていると言ってよいでしょう。
☆さいごに
井上萬二の白磁や青白磁に限らず、有田焼は全般的に人気があります。釉薬の下に藍色の絵具で絵付けをした「染付」が特徴の伊万里や、釉薬の上に色とりどりの絵具で絵付けをした「色絵」が特徴の柿右衛門様式なども、日晃堂なら高価買取が可能です。ジャンルごとに専門鑑定士が在籍しているため、傷や汚れがあっても、共箱が残っていなくても、価値のある商品はしっかりと見極めて高値で買い取ります。