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富岡鉄斎(トミオカテッサイ) 1837年-1924年
富岡鉄斎は明治。大正期の文人画家。日本最後の文人と謳われています。
鉄斎は京都の法衣商、十一屋兵衛富岡維叙のの次男として誕生しました。
鉄斎は数々の名前を持っており、画号である鉄斎の他に別合では鉄人、鉄崖、鉄史などの名前を持っていました。
幼少期から少し耳が不自由だったもののその頃から勉学に励み、富岡家の家学でアル石門心学をはじめとし、岩垣月洲らには漢学・詩文、大国隆正には勤王思想などを学んでいきます。
鉄斎には座右に銘があり「万巻の書を読み、万里の道を往く」を実践して日本各地の旅をしました。北海道の旅をした際には、アイヌ族の風俗を題材にした「旧蝦夷風俗図」を描いており、これは鉄斎の中でも有名な代表作となっています。
鉄斎の作品は、鉄斎が歳を重ねるごとに次第に認められていくようになっています。
京都青年絵画研究会展示会の評議員をはじめとし、京都美術協会委員や京都市立日本青年絵画共進会顧問など順当に勤めました。1897年の歳には田能村直入(日本画家)らと日本南画協会を発足させ、南画の発展にも貢献しようとしていたそうです。
鉄斎は数多くの展覧会で審査員を務めましたが、鉄斎自らが一般の展覧会に出品することはあまり多くはありませんでした。
最後の文人と謳われていた鉄斎は、自分は画家が本業ではなく、あくまで儒学が本職だと考えており、「自分は意味のない絵は描かない。自分の絵を見るときは、まず賛文を読んでくれ」というのが、口癖だったそうです。
大和絵や大津絵、琳派の様式を加えた鉄斎の絵は独自の色の放っており、80を過ぎて更に色彩溢れる大作を描き上げていきました。
【富岡鉄斎・代表作】
- 『旧蝦夷風俗図』
- 『二神会舞図』
- 『富士山図屏風』
- 『阿倍仲麻呂在唐詠和歌図』
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