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中村不折(ナカムラフセツ) 1866年-1943年
中村不折は明治から昭和期に活躍した日本の洋画家。
夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵を担当したのがこの中村不折です。
不折は(幼名:鈼太郎)江戸の京橋八丁堀で父・源蔵、母りゅうの元に誕生しました。
幼いころから既に絵に対して興味を持ち始めていた不折は物の形を紙に写す事を楽しみの一つにしていました。
不折が19歳になると学問にも励むようになります。真壁運卿には南画、北原安定には漢籍、白鳥拙庵には書を学びます。
21歳では伊那部学校で助教、22歳の時には数学・図画の教師を務めます。担当した生徒の中には後に明治期の代表となる画家、菱田春草や樋口龍峡がいました。
教師をやる中、不折じゃ夏季休暇を利用し、河野次郎の元で洋画の初歩を学び始めます。
明治20年の4月になると不折は上京し、高橋是清(明治から昭和初期にかけての官僚)の元に住み込みながら、画塾である「不同舎」へと入門し、小山正太郎(洋画家)を師として絵を学びました。
それから7年後である明治27年では俳人・歌人である正岡子規に出会い、新聞記者となり「小日本」という新聞の挿絵を担当するようになります。この新聞には挿絵だけでなく不折の俳句も掲載され、この際に初めて「不折」を名乗るようになりました。
明治38年の時には明治34年から留学していたフランスから帰国し、「太平洋画会」に所属して歴史画の分野で活躍します。
この時作家として著名な森鴎外や夏目漱石と親しくしており、「野菊の墓」「若菜集」「吾輩は猫である」など有名なタイトルの挿絵を数多く担当し、題字も書きました。
【中村不折・代表作】
- 『裸体』
- 『岸の三人娘』
- 『龍眠帖』
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