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松岡映丘(マツオカエイキュウ) 1881年-1938年
松岡映丘は大正から昭和初期にかけ活動した日本画家。
映丘(本名:松岡輝夫)は播磨北部である神東郡田原村(兵庫県神崎郡福崎町)辻川の旧家である松岡家の末弟として誕生しました。 医師の松岡鼎、医師でもあり歌人・国文学者であった井上通泰(松岡泰蔵)、民俗学者の柳田國男、民俗・言語学者であり海軍軍人の松岡静雄が兄におり、映丘は有名な兄たちの末っ子も当たりました。他に兄が3人いましたが、若くして命を落としてしまったため、成人したのは映丘含めて5人でした。世にいう有名な「松岡5人兄弟」です。
映丘は幼少期に長兄である鼎に引き取られ、下総中部の布川町(現在の茨城県北相馬郡利根町)に移ります。 その時より歴史画、中でも特に武者絵を好み、この頃より映丘は日本画家への道を目指し始めました。 最初は狩野派の橋本雅邦(明治期の日本画家)より学びました。しかし、鎧などを描くのを好んだ映丘は雅邦と合わずに半年ほどで雅邦の元を通わなくなってしまいます。 それから2年後の明治30年に兄の友人であった田山花袋の紹介で、住吉派の山名貫義の元に入門、そこで本格的に大和絵や技法、有職故実(朝廷・公家・武家の儀典礼式や年中行事など)を研究しだすようになりました。
明治32年になると映丘は東京にある美術学校の日本画科に入学、寺崎広業や川端玉章らより指導を受けます。 また在学の間に吉川霊華、梶田判古や小堀鞆音らの「歴史風俗画会」に参加もしていました。明治37年には首席で学校を卒業しており、神奈川県の高等女学校と併設されていた女子師範学校の経論も務めました。
【松岡映丘・代表作】
- 『神宮親謁』
- 『浦の島子』
- 『伊香保の沼』
- 『春光春衣』
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