今回は、埼玉県にお住まいのお客様より買取りさせていただいた鈴木良三の絵画≪朝(桜島)≫を紹介します。額装には傷がありましたが、作品自体の状態は良く、高価買取することができました。
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鈴木良三(1898年~1996年)は中学校を卒業した後、大正6年東京慈恵医大に入学し、間もなく叔父の幼なじみだった画家中村彝のアトリエを訪ねる機会を得ました。この訪問が画家鈴木良三を誕生させたといってもよいでしょう。医大への入学が画家への転機となったと聞くとやや奇妙ですが、たえず絵画への情熱を持ち続けた鈴木良三にとって決して不思議なことではなかったのかもしれません。こうして鈴木良三は中村彝に師事し、その後画家として活躍し、師の文集・画集の刊行、展覧会の開催、アトリエの復元などを行い、彝の画業を受け継ごうとしました。
良三は戦中の従軍画家としての活動期を除けば、初期から風景画を得意とし、とくに戦後に描いた海の風景によって海景画家として知られています。師の中村彝が良三の絵画を「素直で平明な観照のもとに、美しき自然の諸相」を描いたと評したように、良三にとって「自然」は重要な意味をもっていました。実際、画家自身も「美しい自然を写生することなく、抽象画などアトリエで苦心している人を気の毒に思う。自然が破壊されても無関心でいられて却って呑気なのかも知れない」と述べており、絵画において自然を探求していたことが分かります。
こうした画家の「自然」を重視した姿勢を踏まえれば、印象派をはじめとした西洋絵画の影響を強く受けたのは十分理解できます。良三は渡仏したことでフランス近代絵画を吸収しただけでなく、その前後でも西洋絵画の理論と実践についてかなり研究していたと考えられます。彝は病臥中に高村光太郎の『ロダンの言葉』やチェンニー二の『芸術の書』を手にしていたことを付き添っていた良三が伝えているように、自らもそうしたルネサンスから近代にいたる芸術理論に触れる機会は少なくなかったと思います。
対象の再現性よりも色彩のコントラストや荒々しい筆使いを重視した絵画が良三の作品の特徴ですが、これは明らかに色彩感覚やコンポジションを印象派やフォーヴィスムに学んだ成果にほかなりません。
さらにこの画家の絵を理解するには、作品それ自体を見ると同時に、画家がどう絵を見ていたか、あるいは分析していたかを確認してもよいでしょう。彝の絵を見た良三は次のように記述しています。
8月も中ばを過ぎてから元気が出て来て、油絵を三枚かいた。一枚は崖下へ下りて四号の板に空を広く入れて海は三分の一ぐらいの、暗い感じのもの。一枚は十号に松林を三分の二位に大きく取り、遠景に平磯の岬を描いたものでゴッホのタッチを思わせるもの。もう一枚は四号のカンバスに、門の傍で少しばかりの畑があり、中景は海、遠景は平磯の岬の構図で、これはむしろシスレーの色を思わせる出来映えで、彝さんはこの四号が一番気に入っていたようだ。
「ゴッホのタッチ」、「シスレーの色」と画面を記述するとき、この印象派と比較しつつ分析するその眼差しから、良三のフランス近代絵画研究のあとがはっきりと分かります。
≪朝(桜島)≫をみると、単に印象派やポスト印象派、あるいはフォーヴィスムの影響だけでなく、朝というには暗く描かれた桜島御岳の様子、立ち昇る黒煙などロマン派的な崇高さも感じさせる桜島の姿を描き出しています。鈴木良三という画家にとって自然が単なる描写対象として以上に重要だったことは、すでに確認した「素直で平明な観照のもとに、美しき自然の諸相」を描いたという態度から明らかです。もちろん、多くの研究を重ねた結果として、描き出された絵画にその影響の痕跡が残るのは避けられません。とはいえ、たんに西洋絵画の研究や影響という枠組みを超えた良三の「自然の観照」が、≪朝(桜島)≫に結実しており、この作品は今でもなお私たちに自然の在り方、新しい捉え方を問いかけてやみません。
今回買取させていただいた鈴木良三の作品からもそうした自然の素晴らしさが伝わってきます。
日晃堂では鈴木良三や中村彝のほか、明治・大正・昭和の絵画を高価買取しております。売却をご検討の際は、ぜひ日晃堂に気軽にお問合わせ下さい。
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参考:
・鈴木良三『中村彝の周辺』中央公論美術出版、1977年。
・「物故者記事:鈴木良三」『東京文化財研究所』
・茨城県近代美術館(編)『鈴木良三 佐竹徳展:自然へのあこがれとロマン』茨城県近代美術館、1991年。