江戸時代には数多くの金貨が鋳造されていました。その中の1つである元禄二朱判金は当時は一朱金よりも使い勝手が良いとされ、広く流通していましたが、現存数は少ない金貨です。江戸時代で最初に発行された元禄二朱判は、二朱金の中で、唯一裏面に時代印の「元」が刻まれてる金貨です。
この記事では元禄二朱判金の歴史や特徴だけではなく、買取評価についても詳しく解説します。
元禄二朱判金の歴史
元禄ニ朱判金:表
出展:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/E-20126?locale=ja)
元禄二朱判金は1697~1710年(元禄10年~宝永7年)に流通していた金貨です。二分判金の1/2の価値として登場した二朱判金で、使い勝手が良く大変重宝されていました。
元禄ニ朱判金以外に、ニ朱判金は3種類ほど江戸時代に鋳造されており、作られた年号によって呼ばれ方が『元禄』『天保』『万延』と異なります。
元禄ニ朱判金は、元禄10年(1697年)に初めて発行されましたが、宝永7年(1710年)の乾字金の発行に伴い通用が停止しました。
天保3年(1832年)には「天保二朱判」、万延元年(1860年)には「万延二朱判」が発行、さらに「万延二朱判」は後に「明治二朱判」と改名され、明治2年(1869年)まで鋳造された歴史があります。
また、元禄小判、元禄一分判および元禄二朱判は、総称して元禄金(げんろくきん)あるいは元字金(げんじきん/げんのじきん)と呼ばれていました。
元禄ニ朱判金の特徴・品位
規定とされる量目は約2.21グラムで、品位は金が56.4%、銀が43.6%となっています。長方形短冊状をしており、 表面の上部に扇枠に五三の桐紋、下部には「二朱」の文字が刻印がされています。
元禄ニ朱判金は裏面に「光次」の署名と花押が刻印されているのが特徴です。最初に鋳造された元禄二朱判は元禄小判と同品位とされていました。
慶長金の時代は一分判より低額の貨幣は寛永通寳一文銭しかなかったため、当時の金貨のほとんどが使い勝手が悪いものばかりでしたが、「二朱」という額面の金貨は使いやすく、人々に歓迎されました。
元禄ニ朱判金の価値
元禄ニ朱判金:裏
出展:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/E-20126?locale=ja)
当時は一朱金よりも使い勝手が良いとされた元禄ニ朱判金ですが、広く流通していたにも関わらず、現存数は少なく人気が高いです。
元禄二朱判は小さな部類の金貨ですが、非常に価値があり、現在では30万~60万で取引をされています。
また、表と裏で絵柄の違うエラー銭の「逆打ち」があり、こちらは90万円~200万円とかなりの高値となります。古銭の買取額は市場の動向に応じても変動するため、今の価値・買取額を知りたい方は、専門業者への査定依頼をおすすめです。
古銭買取で元禄二朱判を高く売るコツ
古銭買取で元禄二朱判を高く売るには、古銭の買取実績のある業者に依頼することが大切です。元禄二朱判に限らず、古銭は非常に種類が多く、知識や経験がなければ見極めることができません。
一般的な中古買取店では、相場以下の買取額になることもあるので、知識と実績のある専門業者に依頼しましょう。また、売る前に手入れはしないようにしてください。
古銭などは表面を磨くことで傷ができてしまうことがあり、その場合は買取額がグンと下がります。汚れがあることで買取額が高くなる可能性もあるので、何も手入れはせずに買取に出すようにしましょう。
おわりに
古銭は現存数が少ないものであったり、保存状態で高い価値がつく可能性があります。一度所持している古銭の価値を確かめてみてはいかがでしょうか。
しかし査定を依頼した古銭を、無理に買い取ろうとする悪徳な買取業者にあたってしまうトラブルが発生します。
もし古銭買取を検討されている方は、知識と実績がある専門業者を選ぶようにしてください。私たち日晃堂では、古銭・元禄二朱判を専門の査定士が丁寧に評価し、適正な査定・買取を行っています。
※記事内に掲載している買取価格は参考価格となり、買取価格を保証するものではございません。同様の作品であっても査定時の相場や作品状態などによって買取価格は変動いたします。