万延二分判金 裏
出展:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/E-20144?locale=ja)
江戸時代から明治時代の移り変わりに使われていた古銭として人気があるのが、万延二分判金です。1つ前の安政二分判金と鋳造時期が重なっていたことからも広く知られています。
この記事では、万延二分判金の発行経緯や品位、古銭買取相場について解説します。価値を下げない保管方法もご紹介しているので、万延二分判金をお持ちの方はぜひ最後までご覧ください。
万延二分判金とは?
万延二分判金とは、万延元年(1860年)〜明治初期まで発行されていた金貨です。江戸時代には多くの古銭が鋳造されましたが、その中で最も品位が低く作られました。発行された経緯としては、幕府の財政立て直しを図る目的があったとされています。
万延二分判金は国内での流通を狙って大量に鋳造され、その数は5,000万枚を超えていたようです。これは当時流通していた通貨の90%に匹敵すると言われ、小判に代わり事実上の本位貨幣としての地位を確立していました。
万延二分判金の特徴・品位
万延二分判金の規定とされる量目は3グラムです。品位は金が23%、銀が77%とかなり品位が低く、古銭の中でも軽い金貨となっています。
表面には「二分」の文字と桐紋が2つ彫られ、裏面は鋳造を任せられていた後藤庄三郎光次の「光次」の文字があります。江戸時代から明治時代にかけて鋳造された金貨ですが、時代印が彫られていないため、二分判金の中で見分けることは難しいでしょう。
現在お持ちの金貨が「万延二分判金なのか確認したい」という場合は、古銭買取を行っている業者に依頼してみてください。
明治二分判金との見分け方
万延二分判金 表
出展:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/E-20144?locale=ja)
万延二分判金は明治初期まで発行されていたため、その後に鋳造される「明治二分判金」と作りが似ています。
明治二分判金との見分け方としては、表面に彫られている二分の「分」の字が跳ねか止めかの違いが挙げられるでしょう。分の文字が跳ねているのが万延、止められているのは明治となっています。
また、桐紋のデザインからも見分けることができると言われています。万延二分判金と明治二分判金の作りは似ていますが、別の種類の金貨になるので、注意してください。
万延二分判金の古銭買取相場
万延二分判金の古銭買取相場は、数千円〜数万円です。上記でお伝えした通り、5,000万枚以上鋳造されたことで古銭の中でも現存している枚数が多く、希少性がないことから買取相場はそれほど高くなりません。
また、金の含まれている量が少ないことも、買取相場が高くならない理由として挙げられるでしょう。ただ、保管状態が良いものや、逆打ちなどのエラー銭などは買取価格が跳ね上がることがあり、数万円での買取にも期待できます。
古銭は個体によって買取価格が変動し、市場の動向なども影響するため、現在の価値を知りたい方は一度専門業者へ査定依頼してみてはいかがでしょうか。
万延二分判金の価値を下げない保管方法
万延二分判金の価値を下げないためには、状態が悪くならない保管方法が大切です。
まず、保管場所として適しているのは、直射日光や湿気を避けられる場所となります。カビなどを防ぐためにある程度の通気性が必要となるため、風通しの良い冷暗所を自宅で探してみてください。
また、アルバムやカプセルに入れて保管し、直接手に触れる機会をなくすことが大切です。古銭同士がぶつかり合って傷が入ることも考えられるので、1つ1つ保管することをおすすめします。そして、万延二分判金の売却を考えている方は、磨いたり、洗浄したりしないようにしてください。
おわりに
万延二分判金は万延元年〜明治初期にかけて発行された金貨で、幕府の財政立て直しを図る目的から5,000万枚以上が鋳造されたようです。
江戸時代の古銭の中で最も品位が低く、金が23%で銀が77%となっています。大量に鋳造されたこと、金の含有量が少ないこと、この2点から古銭買取での価値はそれほど高くありません。
しかし、保管状態の良いものやエラー銭などは数万円という買取価格になることがあるため、まずは査定を受けてみることがおすすめです。私たち日晃堂では、古銭・万延二分判金を専門の査定士が丁寧に評価し、適正な査定・買取を行っています。
※記事内に掲載している買取価格は参考価格となり、買取価格を保証するものではございません。同様の作品であっても査定時の相場や作品状態などによって買取価格は変動いたします。