昭和を代表する記念硬貨といえば、「オリンピック開催」や「天皇陛下即位」を記念して発行されたコインなど、実に様々な種類があります。
今回の日晃堂コラムでは、日本で2番目に発行された記念硬貨の「大阪万博記念硬貨」についてご紹介します。「大阪万博記念硬貨」は買取に関するお問い合わせも多く、記念コインのコレクターの方にも人気のアイテムです。「大阪万博記念硬貨」に関する豆知識は、古銭の買取を検討するにあたり、知っておいて損はありません。
ぜひ最後まで、当コラムをご覧ください。
【大阪万博記念硬貨】とは
“日本万国博覧会記念硬貨”や”EXPO’70記念硬貨“と呼ばれることもある、「大阪万博記念硬貨」。
日本初の万国博覧会となった「大阪万博(エキスポ’70)」の開催を記念し、造幣局によって発行された記念硬貨です。国内向けに作られたのは「100円白銅貨(はくどうか)」のみですが、海外向けとして、大阪万博記念硬貨「貨幣セット」や「ミントセット」も限定発売され、希少価値の高い記念硬貨として定評があります。 芸術家の「岡本太郎」氏が製作した「太陽の塔」が、expo’70のシンボルとして高い評価を得るなど、大盛況に終わった1970年の大阪万博。当時発売された記念硬貨を購入し、自宅に眠らせたままの方も多いのではないでしょうか。
以下より、そんな「大阪万博記念硬貨」の詳細についてご紹介いたします。
【大阪万博記念硬貨】100円白銅貨
大阪万博記念硬貨は、日本万国博覧会の開催記念に発行された記念硬貨で、1970年(昭和45年)3月10日と7月9日の2回発行されました。
1964年の東京オリンピック記念硬貨に次ぐ、日本で2番目に発行された記念硬貨としても有名ですね。大阪万博記念硬貨の種類は、100円白銅貨1種類のみです(セット発売分は除く)。コインの表面には、葛飾北斎の代表作「富岳三十六景」の1つである「赤富士」が描かれ、裏面には地球を背景に大阪万博のシンボルマークが重なるように描かれています。浮世絵をあしらった日本らしいデザインが特徴ですね。直径は28mmで重さは1枚あたり9g、素材は銅が75%でニッケルが25%が使われています。
大阪万博記念硬貨の発行枚数は4000万枚と非常に多いため、希少価値はそれほど高くありません。100円白銅貨は現行通貨としてのご利用は可能ですが、昔のお金であるためお店で利用をお断りされてしまったり、自動販売機で使えないなどのケースも考えられます。万が一使えない可能性を避けたうえで、100円通貨としてのご利用を検討されるのであれば、銀行で現行通貨への両替えを行うのも手段の1つです。未使用品のように綺麗な保管状態であったり、ある程度の数をまとめて売却される場合、買取市場で額面以上の値段が付く場合もあります。
【大阪万博記念硬貨】貨幣セット
「大阪万博記念硬貨 貨幣セット」は、海外に向けて販売されました。”貨幣セット”という名称が付いていますが、プラスチック製のケースの中に、100円白銅貨が1枚だけ収められています。
ケースの表面には、「100YEN(EXPO’70)」「MINTBUREAU,JAPAN」と表記されています。大阪万博記念貨幣セットは、極めて少ない7000個しか発売されなかったため、希少価値の高い記念硬貨です。同じ100円白銅貨1枚でも、貨幣セットであれば価値が大きく上がることから、ケースを本物のように装った偽物が過去に出回ったことでも有名ですね。
もし、ご自宅などからケース付きの「大阪万博記念硬貨 100円白銅貨」が見つかった際は、査定に出してみる価値があるのが貨幣セットです。偽物も多いとはいえ、本物かつ状態が良ければ、額面を上回るプレミアム価格も期待できます。
【大阪万博記念硬貨】ミントセット
「大阪万博記念硬貨 ミントセット」は、上記でご紹介した貨幣セットと同じく、海外向けに発売されました。
「日本万国博覧会記念100円白銅貨」に加え、当時の日本で普通に流通していた、「1円硬貨」「5円硬貨」「10円硬貨」「50円硬貨」100円硬貨」が各1枚ずつの合計6枚セットです。このミントセットはビニールパックに密閉され、白色の表紙の裏に各額面の硬貨6枚と、100円白銅貨が封入されています。大阪万博記念硬貨のミントセットは、全部で26000部が販売されました。
ちなみに、ミントセット(Mint set)とは、各国の造幣局が発行する硬貨をケースに収納し、販売するために作られたものをいいます。確実に”完全未使用”が入手できることから、コイン収集家に重宝されているのが特徴です。記念硬貨を含めたミントセットは、「大阪万博記念硬貨ミントセット」が初めての発行で、現在でも様々な硬貨のミントセットが発行され続けています。
そんな「大阪万博記念硬貨ミントセット」は、保管状態が良ければ額面以上の買取価格も期待できる、価値の高い記念硬貨の1つです。
日本初の万国博覧会!【大阪万博】とは
1970年に大阪府吹田市の千里丘陵で開催された日本万国博覧会。大阪で開催されたことから通称で「大阪万博」と呼ばれたり、開催年から「70年万博」や、英語表記で「EXPO’70」が用いられたりしました。「人類の進歩と調和」がテーマで、1970年(昭和45年)3月15日から9月13日まで、183日間に渡って開催。77カ国の参加のもと、6400万人を超える入場者を集め、大好評のままその幕を閉じました。
当時の日本は高度経済成長を遂げたばかりで活気に満ち溢れ、大阪万博に対する意気込みも高く、1964年の東京オリンピック以来の「国家プロジェクト」として設定。多くの企業、研究者、建築家、芸術家たちがこのプロジェクトに起用されました。その中でも特に有名なのが、「芸術は爆発だ!」の名言で知られる芸術家、「岡本太郎」氏が制作した「太陽の塔」です。太陽の塔は”大阪のシンボル“として広く定着し、万博終了後も引き続き万博記念公園に残されており、2020年度には国の「登録有形文化財」に登録の見込みです。
常識を覆すような超巨大プロジェクトは、反対運動が起きるなど日本全国で物議を醸しました。しかし、世界各国の新技術や文化が結集し、未来の世界を作り上げた大阪万博の会場には、入場者数6400万人を超える人々が来場。万博史上最高記録を達成するほどの大成功を収めました。この数字は、2010年の上海万博が入場者数7300万人を記録するまで「歴代1位」を誇り、今でも歴代2位の数字として立派に輝いています。
大阪万博で特に人気が高かったのが、宇宙船のアポロ12号が月から持ち帰った「月の石」です。月の石が展示されたアメリカ館には非常に長い行列ができ、途中であきらめて他の館へ移動してしまう人も少なくありませんでした。その異常な混雑ぶりは万博のテーマをもじって、「人類の辛抱と長蛇」「残酷博」などと揶揄されたほどです。
EXPO’70への出展を機に、日常生活に普及したものも沢山ありました。例えば、動く歩道、モノレール、リニアモーターカー、電気自動車、テレビ電話、携帯電話、缶コーヒー、ファミリーレストランなど、いまの私たちの生活に身近にあるものも、この大阪万博を機に広く普及しました。
1970年に開催された「大阪万博」は、1964年に開催された「東京オリンピック」と同じく、高度成長期の日本を象徴する出来事として今日まで語り継がれています。
【大阪万博記念硬貨】買取なら日晃堂にお任せください
今回の日晃堂コラムは、1970年に開催された「大阪万博記念硬貨」について、ご紹介させていただきました。
2025年には大阪市夢洲地区で再び、大阪万博(関西万博)が開催されます。「EXPO 2025 OSAKA」として海外からも注目を集めており、会期は2025年4月13日~2025年10月13日までが予定されています。それにともない、1970年に発行された「大阪万博記念硬貨」にも再び注目が集まっています!
「大阪万博記念硬貨」は国内で発売されたのは「100円白銅貨」単品のみで、発行枚数が4000万枚と非常に多いことから、希少価値はそれほど高くありません。したがって、買取をご依頼いただいたとしても、通常硬貨としてのご使用もしくは、銀行での両替をご案内させていただく場合もございます。
しかし、海外向けに発売された大阪万博記念硬貨の「貨幣セット」や「ミントセット」であれば希少価値も高く、額面以上の買取価格をお付けできるケースも出てきます。
日晃堂では古銭買取にも力を入れておりますので、大阪万博記念硬貨の買取や査定のご相談ならお任せください! 実際の買取価格は実物を拝見してからとなりますが、硬貨1枚ではお買取が難しい場合でも、他のお品物と一緒だったり、硬貨をまとめてご売却いただくことで、お買取できるケースもございます。
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