福岡県に在住のお客様から買取りさせていただいた藤原啓の備前徳利について紹介します。丁寧に保管されていた状態の良いもので、お客様の予想を超える高値で買取することができました。
☆藤原啓とは
藤原啓は、岡山県備前市で農業を営む藤原伊三郎と世為の三男として生まれました。幼少期から俳句や小説の才能を評価されており、1915年博文館主催の『文学世界』で1等を受賞します。その後は、文学的才能を生かして1919年ころから博文館編集部員として勤務。編集の仕事の傍ら詩の執筆活動も行い、1922年に詩集『夕の哀しみ』を1928年には『ハイネの訳詩集』を新潮社から出版します。博文館「婦人之国」の編集に携わるなど多くの仕事をこなすなかで、藤島武二が指導する川端洋画研究所でデッサンを学んだ時期もあったとされています。このことは、のちの陶芸家人生に大きく影響したと考えられるでしょう。
その後、文学者として独立しますが、文学の世界に限界を感じ、精神衰弱に陥ったといわれています。静養のために帰郷し、40歳から三村梅景に師事し備前陶芸の道へ進みました。北大路魯山人や金重陶陽らからも指導を受け古備前復興に力を尽くします。
藤原啓の作品の特徴は、桃山古備前の技法をもとにしながらも、窯での自然の変化を近代的に生かした作風です。素朴で大胆な作品の数々は多くのファンを魅了し、新たな備前焼の道を切り開きました。1954年岡山県指定無形文化財「備前焼」保持者に認定され、1962年にはプラハ国際陶芸賞も受賞しました。その後も1970年に人間国宝に認定され、1972年には勲四等旭日章を受章するなど高く評価されてきました。
1983年に肝臓ガンで他界しますが、その功績をたたえられ同日勲三等瑞宝章を受章することになります。このように数々の賞を受賞し、多くの評価を得てきたことからも藤原啓の作品が価値あるものだということがわかるでしょう。
☆藤原啓の備前徳利
もともと、文学やデザイン、彫刻などにも精通していた藤原啓の備前徳利は、その芸術的感性を十分に感じられる素朴で大胆な作品が多いとされています。備前焼ならではの土肌はシンプルながらも、味わい深く時に躍動感も感じます。師である金重陶陽が繊細で優美な備前焼を作っていたのに対し、藤原啓の備前焼は近代的で力強くどっしりとしています。鎌倉時代の備前焼作風に魅力を感じ「無作為」の作陶に没頭したといわれています。そのため徳利をはじめ多くの作品は、伝統的な備前焼技法を守りながら、独創的なスタイルも貫くという独自の魅力があります。現在多くみられる、素朴で重量感のある備前焼は藤原啓が広めたといわれるほどです。
今回、買取りさせていただいた備前徳利も比較的小ぶりのものですが、藤原啓ならではの素朴な存在感がある作品です。土の自然の風合いが感じられ、波打つ模様が大胆さを表現しています。色彩は地色の土色と模様の茶色ですが、そこから感じられる豊かな解放感は藤原啓作品の魅力に他なりません。それだけを和室に飾っても十分に雰囲気が出ますし、一輪挿しとしても活用できるでしょう。もちろん酒器としても使うことができます。
☆さいごに
備前焼は、釉薬を使わない伝統的な技法でつくる焼き物として非常に価値があります。その技法は1000年以上続くもので、多くのコレクターから支持を集めています。その中でも、人間国宝にも指定された藤原啓の作品は現代の備前焼を象徴する代表格とも呼べるでしょう。
日晃堂では、藤原啓作品やほかの備前焼などの売却をお考えであれば高価買取することができます。もちろん藤原啓作品や備前焼きに限らず、価値ある焼き物であれば高価買取いたします。