切子といえば、「江戸切子」と「薩摩切子」の二大カットガラスを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。江戸(東京)の江戸切子に対し、薩摩(鹿児島)で作られ始めた薩摩切子。鹿児島の伝統的工芸品に指定されており、歴史的価値や骨董品として価値が高いものは、驚くような高額買取となるケースもあります。
今回の日晃堂コラムは「薩摩切子とは」というテーマで、薩摩切子の歴史や特徴などについてご紹介いたします。この記事を読めば、ガラス工芸初心者の方でも薩摩切子について詳しくなれますので、ぜひ最後までご覧ください。
薩摩切子とは
薩摩切子(さつまきりこ)とは、薩摩藩によって幕末から明治初頭にかけて、薩摩(鹿児島)で生産されていたカットグラス(切子)の総称のことです。
薩摩切子は”薩摩ガラス”や”薩摩ビードロ”とも呼ばれ、1851年(嘉永4年)に薩摩藩の第11代藩主となった「島津斉彬(しまづなりあきら)」の指示によって、外国との交易品や大名達への贈り物として開発されると急発展を遂げました。しかし、島津斉彬が49歳という若さで急逝すると一気に衰退が始まります。
1877年(明治10年)には一度、薩摩切子の歴史に幕を閉じることになったため、薩摩切子は”幻の切子”とも呼ばれていました。
今では復刻したものが生産されていますが、当時の薩摩切子は「古薩摩切子」と呼ばれ区別されることもあります。古薩摩切子はごく短期間での生産だったため現存数は大変少なく、骨董品や美術品として非常に高い価値があります。市場に流通することも稀のため、本物と認定されるような古薩摩切子であれば、びっくりするような高額で取引されることも珍しくはありません。
現在の薩摩切子は、島津家の島津興業が1984年(昭和59年)に「新薩摩切子」として復刻したものです。
その中でも、古薩摩切子を復元したものを「復元薩摩切子」、古薩摩切子と同じ技法や文様に、新しい文様を組み合わせて創作したものを「創作薩摩切子」と呼んでいます。
1989年(平成元年)には島津興業が監修・直営する薩摩ガラス工芸に対して、鹿児島の伝統的工芸品として認定されました。薩摩切子は江戸切子のように技術が継続せず復刻生産であるため、国の伝統工芸品には認定されませんが、今でも一級のガラス工芸として高い注目と人気を集めています。
薩摩切子の歴史
鹿児島県の伝統的工芸品・薩摩切子の歴史が始まったのは1846年(弘化3年)からです。
薩摩藩10代藩主の「島津斉興(しまづなりおき)」は、製薬館を設置し製薬を始めますが、それには薬品の実験にも耐え得る強いガラス器が必要でした。
そこで白羽の矢を立てられたのが、江戸のガラス職人として有名だった「四本亀次郎(しもとかめじろう)」です。薩摩に伝播した外国のガラス製造に関する書物を土台に、島津斉興が四本亀次郎を招くなどしてガラス器の製造を始めたのが、薩摩切子の歴史の始まりとされています。
そして、薩摩切子は1851年(嘉永4年)に薩摩藩の第11代藩主となった「島津斉彬(しまづなりあきら)」の代で急発展します。外国との交易品や大名達への贈り物として開発されるのを機に、紅・藍・緑・紫・黄などを発色した芸術的な薩摩切子として大きく発展。その中でも、透明感もある紅色の薩摩切子は「薩摩の紅ガラス」と呼ばれ、薩摩切子を代表する色として定着しました。
しかし、1858年(安政5年)に島津斉彬が49歳という若さで急逝したことをきっかけに状況は一変します。事業は縮小となり、さらに戦争や明治維新によって工場が焼失するなど、薩摩切子は一気に衰退。1877年(明治10年)の西南戦争が終わりを告げる際には、薩摩切子の製造や技術も途絶え”幻の切子”となってしまいます。
それから100年以上という月日を経た1985年(昭和60年)年以降、薩摩切子復興の動きが出てきます。
島津家に残された関連資料などを参考に、ガラス職人や研究家、関連工場などの協力を得て薩摩切子の復刻に成功すると、1989年(平成元年)には復刻した薩摩切子が鹿児島県の伝統的工芸品にも指定されました。
現在復刻した薩摩切子は、昔の薩摩切子(古薩摩切子)を忠実に復元した「復元薩摩切子」と、古薩摩切子の特徴を踏まえつつ、新しい文様や色で創作された「創作薩摩切子」が生産・販売されています。
薩摩切子の特徴
庶民の日用品として作られた江戸切子に対し、島津藩の御用達として作られた薩摩切子。共に日本を代表する二大カットガラスですが、お互いに作られた背景や特徴は違います。
薩摩切子の特徴としては、以下のようなものがあります。
・藩の産業の一つとして開発されたものが発展した
・江戸切子と比べるとガラスに厚みと重厚感がある
・「ぼかし」と呼ばれる独自の美しいグラデーションが最大の魅力
・現在生産されている薩摩切子は復刻生産されたもの
・鹿児島県の伝統的工芸品に指定されている
「薩摩切子の歴史」でも触れましたが、薩摩切子は薩摩藩が主体となって開発されたもので、外国との交易品や大名達への贈り物、鑑賞用として発展しました。江戸切子が庶民向けに発展したのとは対照的ですね。
また、薩摩切子は江戸切子と比べると、透明なガラスの上に被せた色被せガラスの部分が厚く、このガラスの厚みによって色の境目が美しいグラデーションのように見えます。このグラデーションは薩摩切子の「ぼかし」と呼ばれ、非常に有名な技術として広く知られていますね。
その他の薩摩切子の特徴は上記でもお伝えしたように、現在は復刻されたものが生産され、鹿児島県の伝統的工芸品に指定されている、などが挙げられます。
▼江戸切子と薩摩切子の違いや、江戸切子の概要については下記の記事も合わせてご覧ください。
江戸切子とは【江戸切子についてご紹介します】
まとめ
薩摩切子とは、薩摩藩が幕末から明治初頭にかけて生産した、ガラス工芸(切子)のことです。
薩摩切子の製造や技術が途絶え、「幻の切子」と呼ばれていた時代もありましたが、現在では復刻されたものが生産され、鹿児島県の伝統的工芸品にも指定されています。
今回は「薩摩切子の歴史」や「薩摩切子の特徴」などついてご紹介させていただきました。この記事を通じて、薩摩切子に対する理解や関心が深まれば幸いです。
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