青山義雄(あおやまよしお)1894年–1996年
青山義雄は、大正末期から平成にかけて活躍した洋画家です。
早くからフランス・パリを拠点に活動しており、日本国内だけでなくヨーロッパでもその名を馳せました。
主に風景画を得意としており、水彩・油彩問わず、色鮮やかで温かみのある作品を制作。その腕は、“色彩の魔術師”と名高いフランス画家・アンリ・マティスから才能を認められるほどです。
画家人生は70年以上に及んでおり、まさしく“絵に生きた”幸福な画家だったといえるでしょう。
アンリ・マティスも認める色彩美で名を馳せた洋画家
青山義雄は1894年、神奈川県横須賀町(現在の横須賀市)に生まれました。
海軍に奉職していた父の仕事の関係で、9歳の頃に北海道根室市に転居。豊かな自然環境で育ちます。その後、14歳で画家を志すようになり、通信教育で絵を学んでいます。
16歳で上京するものの、父が財産を失ったため、すぐさま帰省。それからしばらくは貧窮する家族を養う
ために働きつつ、その傍らで創作活動を続けました。
そして、肖像画を売って資金を貯めた青山は、27歳のときに単身で渡仏します。
当時は、フランス人以外の画家がパリで活躍していた時代です。 青山もすぐさま美術学校に通い、着実に画家としての技能を磨いていきました。 そんな中、原色を惜しみなく使い、荒々しくも華やかな筆致で自由な世界観を表現する“フォーヴィスム(野獣派)”を牽引するアンリ・マティスから才能を認められ、親交を結びます。 また、サロン・ドートンヌやサロン・ド・ラ・ナショナルといった美術展覧会への入選も果たしており、渡仏した8年後には個展を開催。フランスで人気画家として名を馳せました。
その後、一時帰国したタイミングと第二次世界大戦の開戦が重なり、17年間、日本での生活を余儀なくされたのち、アンリ・マティスの招待によって再度渡仏します。 以降、ヨーロッパ各地を巡りつつ、カーニュやニースを拠点に創作活動に励んだ青山義雄。 92歳のときに帰国してからも、絵筆を離すことはなかったといいます。 そして1996年、103歳で息を引き取り、70年以上に及ぶ画家生活に終止符を打ちました。
青山義雄の代表作
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「カーニュの風景」
戦後、再度渡仏した際にアトリエを構えたカーニュの風景を、青山らしい独特の色彩で表現した作品です。 この作品を完成させたのは65歳の頃でしたが、その色彩表現は年齢を重ねるごとに深みを増し、より鮮やかに、より緻密に美しくなっていったといわれています。
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「バラ」
1977年に描かれた、バラをモチーフにした作品です。 こちらは「カーニュの風景」よりもさらに後、80歳を過ぎてからの作品ですが、青山ならではの優れた色彩感覚は健在。緻密で鮮やかな色使いが見る者を魅了します。
そのほか、「虹」「アネモネ」「ニースの風景(朝の公園)」などが代表作として知られています。
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