横山操(よこやまみさお)1920年–1973年
横山操は、昭和を代表する新潟出身の日本画家です。
同じく日本画家の加山又造を終生のライバルとして認め、互いに切磋琢磨し合いながら日本画壇を牽引した人物でもあります。
花鳥風月を随所に取り入れ、静謐な線で描く王道ともいえるスタイルを貫いた加山に対し、横山はまったく真逆の作風を見せました。石灰や煤を擦りつけることで生み出した独特の漆黒を基調とした、荒々しく力強い作風で人気を獲得。これは師・川端龍子の影響を強く受けており、その大胆な構図で描かれた作品は現代においても多くのファンを魅了します。
豪放的かつ斬新な作風で新たな風を巻き起こした日本画家
横山操は1920年、新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)に生まれました。
しかし間もなくして、横山家に養子として迎え入れられます。
その後、1934年に洋画家の道を歩むべく上京。1938年の第25回光風会展で油彩画「街裏」が入選します。しかしこの年、当時の師から日本画家の道を勧められ、洋画家から転向することになります。
1939年、川端画学校に入学。翌年には日本画家・川端龍子を代表とする青龍社主催の青龍展で見事に入選を果たします。しかし徴兵召集により、一時的に画業を中断。1945年にはシベリア抑留に遭い、強制労働を強いられる苦痛の日々を過ごします。 戦後、帰国してからは画業を再開し、空白の期間を埋めるかのように絵描きに没頭。その中でこれまでの日本画の概念を覆すために、青龍社を脱退して新たな可能性を模索し始めます。 その傍ら、1966年からは多摩美術大学の教授に就任し、今後の画壇を担う若手画家の教育・指導にも努めました。 しかし1971年、過度の飲酒がたかって脳卒中を発症。その後、1973年に帰らぬ人となりました。
横山操の代表作
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「塔」
1957年、東京都台東区にあった五重塔が放火に遭い、炎上するという事件が起きました。 本作品は、この事件によって消失した後の塔の様子を描いた作品です。 丈3mを超える超大作であり、横山の代名詞ともいえる漆黒で力強く塗りつぶしたかのような、痛々しい姿の塔が描かれています。 現在は東京国立近代美術館に所蔵されています。
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「カザフスタンの女」
シベリア抑留に遭い、肉体労働を強いられていたときに目にした光景を描いた作品です。 悲しげな表情の親子が黒を基調として描かれており、当時の過酷さ、寂しさを物語る1枚に仕上がっています。
そのほか、「赤富士」「富士雷鳴」などが代表作として有名です。
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