中村彝(なかむらつね)1887年–1924年
中村彝は、大正時代に活躍した洋画家です。
若くして肺結核を患うものの、療養生活中に絵を描いたことをきっかけに画家を志します。
その後、転地療養を繰り返しつつ、絵の腕を磨き、数々の展示会で優れた結果を残しました。
当初はフランスの画家・ルノワールに似た繊細かつ鮮やかな作風を見せますが、徐々に変化していき、晩年にはキュビズム(立体派)的な絵を研究していたようです。
しかし、そんな中でも依然として苦難の闘病生活は続き、1924年、37歳の若さでこの世を去りました。
病と闘う激動の人生を生き抜いた夭折の画家
中村彝は1887年、茨城県に生まれました。
生まれて間もなくして父を亡くしているため、陸軍軍人だった兄・直を父代わりとして幼少期を過ごします。その影響で当初は軍人を目指しており、名古屋陸軍地方幼年学校で厳しい教育を受けて育ちました。
しかし1904年、肺結核の発覚により、やむなく軍人の道を断念しますが、これが大きな転機となります。
絵を描きながら療養生活を過ごした中村は、これをきっかけに画家の道を歩むことを決意。転地療養を繰り返しつつ、白馬会研究所や太平洋画会研究所で絵を学びます。 そして1909年、「巌」「雲れる日」が第3回文展に初入選を果たし、「巌」が受賞。また翌年、翌々年の文展においても受賞するなど、輝かしい功績を残しました。 そんな中、当時絶大な人気を獲得していた飲食店「新宿・中村屋」を営む相馬夫妻の厚意を受け、1911年より中村屋裏にあるアトリエを拠点に絵を描くようになります。 それからしばらくの間、中村は相馬夫妻の長女・俊子をモデルにして裸婦画を描きます。しかし、これを良しとしない相馬夫妻は、次第に2人の仲を裂くようになりました。
このことがきっかけで中村は相馬夫妻のもとを離れ、新宿区下落合のアトリエに拠点を移します。 その後、友人・鶴田吾郎に勧められ、盲目の詩人ワシリー・エロシェンコの肖像画を8日間かけて制作。これが1920年の第2回帝展で高く評価され、「油絵において、明治期以降に描かれた肖像画の中でも最高傑作」とまで言われます。 以後、肖像画や自画像の制作に力を注ぐ中村でしたが、持病の結核が悪化。1921年の半ばからはほとんど絵を描くことがなくなり、1924年、「頭蓋骨を持てる自画像」を遺作としてこの世を去りました。
中村彝の代表作
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「エロシェンコ像」
第2回帝展で高く評価され、中村彝の知名度を飛躍的に上げるきっかけになった作品です。 黄褐色を基調とした柔らかな筆致で描かれており、ルノワールに似た作風が見て取れます。 現在は国指定の重要文化財に指定され、東京国立近代美術館に収蔵されています。
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「頭蓋骨を持てる自画像」
中村彝の晩作。 中村は生前、数々の自画像を描いていますが、それらとはまるで別人のように頬のこけた“自分”が描かれています。 とはいえ、絶望や恐怖を感じている様子はなく、聖者のような澄み切った表情に見て取れます。
そのほか、「帽子を被る自画像」「少女裸像」などが有名です。
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