土田麦僊(つちだばくせん)1887年–1936年
土田麦僊は、明治・大正・昭和にかけて活躍した画家です。
伝統的な日本画に精通しつつ西洋画も含めたあらゆるジャンルの絵画を学び、さまざまな絵画の要素をミックスさせた画風を確立。日本画の枠を超えた作品の数々は、世界的な評価を得ています。
中でも女性の美を追求した作品には定評があり、郵便切手のデザインに選ばれた「舞妓林泉」をはじめ、舞妓を題材にした作品を得意としました。
あらゆる絵画を学び日本画を超越した天才画家
1887年、土田麦僊は新潟県佐渡市に生まれました。
父には僧侶になる道をすすめられましたが、幼少の頃から絵画に興味を持っていたこともあり、僧侶になるための勉強は16歳の頃に断念。家出同然に画家・鈴木松年に入門し、さらに翌年には緻密な写生を基礎とする美人画を得意とした竹内栖鳳のもとに弟子入りします。
栖鳳のもとで「麦僊」の号を授かり、4年間修業に励み、1908年に「罰」を発表。その年に開催された文展で三等に輝き、その名を知られることになります。
そんな麦僊は、次第に伝統的な日本画の範疇にとどまることに飽き足らず、さまざまな絵画に興味を示すようになります。そして1909年、京都市立絵画専門学校に入学し、西洋画の研究・政策を行う「黒猫会(シャ・ノワール)」「仮面会(ル・マスク)」といった結社に参加して学びます。 また同時に、明治以前の浮世絵や黄表紙本の挿絵、安土桃山時代の障壁画、さらに清代中国の絵画作品の数々に触れ、それらの画風を貪欲に吸収して自らの作品に落とし込んでいきます。
こうして、日本画の域を超えた作品の数々を生み出すに至った麦僊。時代が彼に追いつくまでにやや時間はかかりましたが、1920年代に入る頃には徐々に画名も高まっていきました。 1921年からは日本を発ってヨーロッパ各国を巡り、古今の西洋画を鑑賞し、衝撃と影響を受けます。 3年後に帰国して国展に出品した「舞妓林泉」は高く評価されました。
この頃になると、土田麦僊の画名はゆるぎないものになっていました。 1927年、フランスのレジオンドヌール勲章を受章。1934年には帝国美術院の会員となり、名実ともに日本画壇の重鎮となりました。
土田麦僊の代表作
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「湯女図」
1918年に描かれた屏風絵であり、女性の官能美を追求した土田麦僊の特徴があらわれた作品です。 白い裸身に赤い着物をまとい、胸もとと裾をややはだけて肘をついて寝そべる女性の姿が、あふれんばかりの緑の中に描かれています。 伝統的な日本画に印象派の西洋画のタッチをミックスした独特の画風が際立った仕上がりであり、絵画と名のつくあらゆるものを吸収した麦僊ならではの代表作といえます。
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「舞妓林泉」
“麦僊といえば舞妓”といわれた土田麦僊の絵画は1924年、舞妓を題材にしたこの作品で頂点を極めました。古今東西の絵画を遍歴した末に描かれた作品であり、さまざまな絵画のエッセンスを凝縮した傑作に仕上がっています。 特に、淡い色調と緻密な描写、そしてどこか人工的な雰囲気さえ感じさせる筆致は、フレスコ画の影響が色濃いといわれています。
その他、「島の女」「罰」などが代表作として知られています。
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