村田徳次郎(むらたとくじろう)1899年–1973年
村田徳次郎は、主に大正から昭和にかけて活躍した彫刻家です。
日本美術院に所属して数々の優れた作品を世に送り出しつつ、戦後は東京藝術大学の講師としても活躍。また1970年代の初め頃には、当時人気絶頂だった野球の巨人軍をテーマにした作品を発表。一般大衆になじみの深いテーマを選ぶことで、彫刻を“大衆の芸術”へと昇華させることを志しました。
そんな村田徳次郎の作品は、全国各地の有名美術館に所蔵されているものも多く、現在においても高い価値を誇ります。
彫刻を大衆の芸術に昇華することを志した彫刻家
1899年、村田徳次郎は大阪に生まれました。
和服の半襟を商う家の長男に生まれたため商業学校に進学するものの、芸術家への道を志して中退し、京都市立美術工芸学校に入学。1919年に卒業したあとは一時、軍隊に入り、除隊後に家業を継ぎますが、1924年に家業を義兄に譲って彫刻家としての活動を本格的に開始します。
1926年、日本美術院の展覧会に「小児像」を出品して入選を果たすと、その後は毎回入選。新進気鋭の彫刻家として知られるようになります。 その後、日本美術院の研究会員(1927年)、ついで院友に推挙されます(1930年)。 また1932年には「女座像」で日本美術院賞を受賞。戦前・戦中はもっぱら日本美術院の同人として活躍し、その名を高めました。
戦後は東京藝術大学の講師を務めたり、彫刻家たちによって結成された粲々会を通じて作品を発表したりと、さまざまな活躍を見せます。粲々会では中心的な作家のひとりとして、晩年まで展覧会で作品を発表し続けました。 1972年、粲々会の第12回展では「巨人軍を彫る」と題して、当時スター的な人気を誇った長嶋茂雄などの像を発表して話題を呼びます。 その後も絶作となった「腰かけた女」に至るまで、晩年まで優れた作品を多く手がけました。
村田徳次郎の代表作
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「俳人萍雨子」
東京藝術大学の大学美術館に、「平櫛田中コレクション」のひとつとして所蔵されている作品です。 明治から昭和にかけて活躍した俳人・関萍雨(せきひょうう)の晩年の姿を表現しています。明治時代、俳句の世界に新風を吹き込んだ正岡子規や高浜虚子の流れをくむ俳人であり、同時に小学校教育の分野でも活躍しました。村田徳次郎は、そんな萍雨の理知的で滋味深い表情を見事にとらえた作品に仕上げています。
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「ペリー胸像」
静岡県下田市の「ペリー上陸記念公園」で見ることができる胸像です。「ペリー艦隊来航記念碑」と刻まれた石碑の上に設置されています。 ペリーとは明治維新のきっかけになった黒船の艦隊を率いたマシュー・ペリー提督のことで、村田徳次郎はその堂々とした雰囲気を見事に表現しています。
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