田崎広助(たさき ひろすけ)1898年-1984年
田崎広助は、大正から昭和にかけて活躍した洋画家です。
日本の自然や風土を感じさせる作品が多く、特に阿蘇山を題材にした作品から「阿蘇の田先」と呼ばれています。
その雄大な自然の表現に定評があり、文化勲章や日本芸術院賞などの栄誉にも輝き、日本洋画界に大きな影響を与えました。
日本の山を愛した画家
田崎広助は、1898年に福岡県八女郡北山村(現・八女市立花町)に生まれました。 幼少期から絵を描くことが好きで、画家を目指し美術学校への進学を志願します。 しかし、父親に美術学校の進学を反対され、福岡県師範学校(現・福岡教育大学)に入学しました。 卒業後は画家になる夢を捨てきられずに、父親の反対を押し切り上京。 坂本繁二郎や安井曾太郎に師事し、修行の日々を過ごしました。
1932年には34歳と遅めながらヨーロッパへ留学し、パリを拠点に各地を巡りました。 サロン・ドートンヌ展で入選を果たすなど、西洋の文化に触れ多くの刺激を受けます。 その結果、西洋画の真似事ではなく、日本の伝統や自然を強く意識した作風を追求するようになっていきました。 戦後は一水会や広稜会など美術団体の創設に参加し、そのメンバーとして数々の展覧会で受賞を重ねます。 戦時中に制限されていた自由な表現が可能となり、田崎は日本各地の山々を旅しながら、その美しさや荘厳さを絵画に表現しました。 中でも「阿蘇山」は生涯にわたるテーマとなり、その四季折々の姿を色鮮やかに描き出しました。 他にも富士山や桜島など、日本有数の名山を題材にして、山岳画家としての高い評価を得たのです。 その芸術的な功績により、日本芸術院賞や文化勲章など、多くの賞や栄誉を受章。 また、ブラジル政府からもコメンダドール章とオフィシエ章という勲章を授与され、国内外で活躍しました。 日本洋画界に大きな影響を与え、1984年に85歳でこの世を去りました。
田崎広助の代表作
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「阿蘇山」
田崎は日本各地の山々を描き続けた画家ですが、中でも熊本県の阿蘇山に深い愛着を持っていました。 16歳のときにその雄大な姿に出会い、50歳を過ぎて本格的に描き始めました。 青い空と白い雲が広がり、緑の草原が映える、阿蘇山の真正面から見た風景を伸びやかな筆致で描いています。 雄大かつ壮大な阿蘇山の生命力と美しさを伸びやかな筆致で描くだけでなく、その変化や季節感も感性豊かに表現しました。
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「浅間山」
1966年に軽井沢にアトリエを構えた田崎は、信州を第二の故郷として愛し、浅間山や八ヶ岳などを描きました。 この作品は浅間山の雄大な姿と、その麓に広がる小さな村と湖を描いています。 緑の空にオレンジの雲というインパクトのある鮮やかな色彩に対し、麓の緑と中央の湖がのどかで落ち着いた雰囲気を感じさせます。 信州で見た風景を忠実に再現したものではなく、独自の感性や想像力で自然の力強さと美しさを表現した作品です。
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