沢庵宗彭(たくあんそうほう)1573年‐1646年
沢庵宗彭は安土桃山時代~江戸時代初期にかけて活動した臨済宗の僧です。
一般的には「たくあん漬け」の発案者として知られている沢庵宗彭ですが、彼は徳の高い僧として知られており、茶の湯、書物、詩文にも精通していた人物だといわれています。
多くの人に慕われていた沢庵宗彭は影響力も高く、各地の大名や第三代徳川家光とも交流が深かったという記録が残されています。
幕府の権力に屈せず、僧としての姿を貫いた沢庵宗彭
沢庵宗彭は但馬国出石(現在の兵庫県)の出身で、父は但馬国の武将・山名祐豊の重臣として活躍した人物でした。しかし、沢庵が8歳の頃、織田信長軍の侵略により山名家が滅ぼされ、父は浪人に。こうした境遇もあり沢庵はわずか10歳で出家を果たしました。 1586年、宗鏡寺(兵庫県豊岡市)に入門し希先西堂に師事しますが、1591年に希先が逝去。以降は大徳寺(京都市北区)の薫甫宗忠に師事します。 関ヶ原の戦いを生き延び、1607年、大徳寺の首座になった沢庵宗彭。しかし、自身の名誉に執着がない沢庵はわずか3日でこの大徳寺を去ったという逸話が残っています。 江戸時代になると、「紫衣事件」が勃発。 紫衣とは僧の尊さを表す衣装のことで、当時は天皇から徳の高い僧及び尼に贈られていました。しかし、1615年に定められた禁中並公家諸法度にならい、幕府は「みだりに紫衣を与えるのはご法度」とし、僧たちから紫衣を取り上げます。 こうした動きに強く反発した沢庵一行は1629年、流罪に。沢庵は出羽国(現在の秋田県、山形県)に置かれましたが、「心が潔白であれば、身の苦しみなどなんてことはない」と語ります。 そんな沢庵の権力に屈しない生き方に心を打たれた出羽国大名は沢庵に手厚い待遇をし、実の父のように慕ったといわれています。 1632年、赦免。のちに、徳川家光に信仰されるようになった沢庵は彼のそばにつかえることとなります。晩年を江戸で過ごした沢庵は亡くなるまで僧としての生き方を貫き、最期は「夢」という字を残してこの世を去りました。
書物について
徳の高い僧であった沢庵宗彭は、数々の法語や語録などを残しています。一方で、書家としての一面ももっていた沢庵は数多くの掛け軸などを残しています。 沢庵の書の特徴はやわらかかく、流れるような筆運びであるといわれています。この書風には「僧の中の僧」と評価された彼の人柄、自分を大きく見せない自然体な姿が感じられるとされ、仏教徒はもちろん、骨董品収集家たちにも高い関心が寄せられています。
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