竹久夢二(たけひさゆめじ)1884年–1934年
竹久夢二は、明治時代の末期から大正を経て昭和初期まで活躍した日本画家です。
人物画を得意とし、特に女性をモチーフにした美人画の数々で知られています。書籍の装幀やポスターなどのグラフィックデザインも手がけ、デザイナーとしても有名です。
女性を描く夢二のモダンで洒脱な筆致は、江戸時代の浮世絵をはじめとするさまざまな伝統絵画の影響を受けつつ、それまでの誰にも似ていない唯一無二のものでした。
そんな彼の美人画は「夢二式美人画」と呼ばれることもあり、きわめて高い人気を誇ります。
「夢二式美人画」を生み出した日本画の天才画家
1884年、竹久夢二は岡山県で生まれました。
生家は代々の酒造家でしたが、夢二が16歳を迎えた1900年には廃業。福岡県に移り、夢二は父とともに八幡製鉄所で働きました。
そんな夢二が本格的に画家を志すようになったのは、1901年に上京してからのこと。翌年、早稲田実業学校に入学して勉強しつつスケッチを盛んに描き、新聞に投書するなどの活動を行いました。 1905年、平民新聞などに挿絵が載り、また雑誌「中学世界」の懸賞で作品が第一賞に輝き、画家として独り立ちできる手ごたえをつかみます。 学校を中退して雑誌の挿絵画家として活動し、1907年には読売新聞社の専属イラストレーターとなって時事問題のスケッチなどを担当しました。 そのような活動を通じて人気を得ていた夢二は、1909年に『夢二画集 春の巻』を出版。画集としては空前のベストセラーを記録します。
その後は「美人画といえば夢二」といわれるほどの人気画家となり、雑誌の挿絵や展覧会などで活躍。さらに1931年からは海外進出を志し、欧米に発ちます。 折からの世界恐慌で景気の悪いアメリカでは話題にならず、海外進出は失敗しますが、その後にめぐったヨーロッパ各国ではスケッチを数多く制作。また台湾では欧米で描いた作品を集めた展覧会を開催して好評を博します。 しかし、1933年に結核を病んで帰国。翌年、50歳の誕生日を目前にして死去することになりました。
竹久夢二の代表作
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「黒船屋」
1918年に描かれた作品で、夢二は当時の恋人・佐々木カネヨをモデルにして絵筆をとりました。なよなかな女性が“黒船屋”と書かれた木箱に腰かけ、漆黒の猫を抱いている姿が描かれています。 憂愁の想いが色濃くにじんでいる目もと、ぬけるような白い肌、そして独特の存在感が見事に表現されており、「夢二式美人画」の頂点をなす作品といえます。 夢二が1913年に出会い、深く愛したものの結核で早すぎる死を遂げた恋人・笠井彦乃への想いがこめられているという説もあります。
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「女十題」
文字通り、女性の姿を10の主題に分けて描いた連作です。 具体的には、「舞姫」「ネルの感触」「朝の光へ」「三味線堀」「逢状」「黒猫」「産衣」「木場の娘」「お高祖頭巾」「北方の冬」という10の作品からなります。 若さのきらめきに満ちた庶民の娘、北国ならではの冷たい空気の中で憂愁のまなざしを見せる女性、逢状(ラブレター)を手にして微笑む女性など、さまざまな立場の女性の姿を「夢二式美人画」の流麗な画風で描いています。
その他、「青山河」などが代表作として知られています。
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