岡本秋暉(おかもとしゅうき)1807年-1862年
岡本秋暉は、江戸時代後期に活躍した日本画家です。
花鳥風月の優美な姿をあらわす花鳥画をたくみに描き、特に代表作の「牡丹孔雀図」をはじめ、クジャクを描いた絵に定評があります。中国絵画の影響を色濃く受けた南画を軸に、古くから受け継がれてきた絵画を学び、独自の境地を開きました。江戸時代末期における“四大家”のひとりとして知られており、作品はいずれも高い価値を誇ります。
古画を学び、独自の境地を開いた絵師
1807年、岡本秋暉は彫金家として知られた石黒政美のもとに生まれました。
もともと石黒家は由緒正しい幕臣の家柄でしたが、政美は武士にならず、多くの門弟を育てる彫金家として活躍しました。そんな父のもとで幼少期を過ごした秋暉ですが、母の実家である岡本家を継ぐために養子として入ります。
岡本家は医家でしたが、秋暉は医学の道に進まず、現在の大分県に領地を持っていた奥平藩のお抱え絵師・大西圭斎に絵画を学び、やがて奥平藩士の娘を妻に迎えます。
その後、しばらくは現在の神奈川県小田原市を治めていた小田原藩で仕事をしていたとされています。
大西圭斎が死去した1829年以降は、思想家として知られるかたわら画家としても高く評価された渡辺崋山の弟子となりました。崋山とは単なる“師と弟子”という関係性を超えた深い信頼関係を築いていたとされ、崋山が「蛮社の獄」で江戸を追放されるときには崋山を護送する籠をいつまでも追いかけ、最初は面会を禁じられたもののついに許されて対面を果たしたという逸話が残されています。
画家としては、日本古来の絵画だけでなく、海外からの影響を色濃く受けた長崎派(江戸時代に唯一の貿易港があった長崎では中国やヨーロッパの影響を受けた独自の芸術文化がありました)や、中国絵画にもとづいた南画なども積極的に取り入れました。
そんな秋暉は、幕末の動乱期が本格的に到来しようとする1862年に死去します。 若年の頃は贅沢な生活を好み、派手な暮らしぶりで知られた秋暉でしたが、晩年には心機一転して質素な清貧生活を送ったといわれています。
岡本秋暉の代表作
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「牡丹孔雀図」
1856年に制作されたとされる作品で、タイトル通り牡丹の花とクジャクの姿が描かれています。牡丹の花は、花びらのひだにいたるまで精緻に表現され、柔らかな色遣いでふっくらと開ききった豊かな姿が表現されています。また2羽のクジャクはその高貴な美しさが存分に表現されており、特に真ん中に配置されたクジャクが尾をすっと立てている華やかな構図が特徴です。現在、この作品は東京の静嘉堂文庫美術館に所蔵されています。
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「尊徳座像」
一般には「二宮金次郎」として知られる思想家・農政家の二宮尊徳を描いた肖像画です。裃をつけ、脇差を差した威厳のあるいかめしい姿が表現されています。しかし目もとのあたりには厳しそうな表情とともに柔らかい滋味も感じられ、少年の頃から努力を惜しまず、長じてからは農民の暮らしを第一に考えて農政改革に取り組んだ尊徳の特徴がよくとらえられています。一説によると、対談中の尊徳の姿をふすまの隙間から覗き見てデッサンを行ったそうです。作品は現在、報徳博物館に所蔵されています。
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