西郷孤月(さいごうこげつ)1873年–1912年
西郷孤月は、明治時代に活躍した日本画家です。
精緻な描写と清新な色遣いが特徴的な優れた作品を数多く生み出したものの、人生につまずき、悲劇的な後半生を過ごすことになりました。しかしその作品は晩年の物も含めて高い価値を誇り、代表作の多くが美術館や博物館に所蔵されています。
明治の日本画壇を駆け抜けた秀才肌の画家
1873年、西郷孤月は現在の長野県松本市(当時は筑摩県筑摩郡)に生まれました。
幼年時代に東京に移転し、東京高等師範学校附属小学校を出た孤月は、幼い頃から秀才として学問の才能を発揮し、以後、私立のドイツ語学校や英語学校に進んで語学を学びます。
しかし1886年、私立知神学校の美術科に入ったことをきっかけに絵の道に入り、日本画を学びました。
1889年、東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)に一期生として入学。同期には横山大観、下村観山といった画家たちがいました。
卒業後は、巨匠として名高かった橋本雅邦の門下に入り、横山大観、下村観山、菱田春草と並ぶ“四天王”のひとりに数えられ、しかも最も才能豊かな画家として評価されます。 雅邦には個人的に気に入られ、四女の榮と結婚することも認められます。1898年のことでした。
画壇に絶大な影響力を持つ雅邦のもとで、日本画壇のリーダーとして立つべき人物と見なされていた孤月ですが、榮との結婚後しばらくして雅邦と対立し、結婚生活は1年も続きませんでした。 その理由は定かではありませんが、私生活の素行がよろしくなかったことが一因であったといわれています。 実際のところ、その後の孤月は酒色におぼれて生活は乱れ、作品からも一時の天才的な冴えが失われていきます。大観や春草は熱心に応援したものの、展覧会に出す作品もさほど話題にはならず、消息もつかめなくなり、やがて“過去の画家”と見なされるようになりました。
そんな孤月が再び絵画史上に登場するのは、元号が大正と改まった1912年のこと。突如としてその姿を台湾に現した孤月は、大作「台湾風景」を描きます。 当時は、台湾を足がかりに大陸の方面に活路を見出そうとしていたようです。 しかし、その志を遂げることを天は許しませんでした。台湾で胃腸を病み、その年のうちに帰国。東京の自宅で39年の生涯を閉じました。
西郷孤月の代表作
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「春暖」
花野にたたずむ馬を描いた作品です。 白く清らかな花々が咲き乱れる中、足を休めた馬が優しげな表情を浮かべて立っています。過去の良い思い出にひたっているかのような、穏やかなたたずまいが魅力的です。 現在は、孤月の母校である東京藝術大学の大学美術館に所蔵されています。
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「台湾風景」
孤月が最晩年に描いた作品です。 台湾の南国情緒にあふれた風景を、独特の色遣いとタッチで描いています。簡素な線で描出されてはいますが、異国の空気感が見事に表現された傑作に仕上がっています。 現在は、松本市美術館に所蔵されています。
その他、「四季花鳥図」「白雲紅葉」などが代表作として知られています。
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