西郷隆盛(さいごうたかもり)1828年 - 1877年
西郷隆盛(南洲)は、江戸時代末期から明治初期にかけて活躍した軍人であり、政治家です。
幕末には薩摩藩を代表する政治家として活躍。薩長同盟を成功させて徳川幕府を崩壊へと導き、その後の戊辰戦争では官軍の最高指揮官を務めました。維新後は“維新三傑”のひとりとして明治政府で活躍しますが、西南戦争を起こして戦死。その壮絶な生き様は多くの人に影響を与えており、歴史上の人物の中では特に人気が高いことで知られています。
『ラスト・サムライ』のモデルになった明治維新の立役者
1828年、西郷隆盛(南洲)は薩摩国(現在の鹿児島県)に生まれました。
西郷家は下級武士の家柄であり、隆盛もまた本来であれば身分の低い侍として人生を送るはずだったところでしたが、当時は幕末の動乱期。有能な人材を求めていた薩摩藩主の島津斉彬に見出され、藩政改革を担う政治家として活躍します。
斉彬の死後(1858年)しばらくは失脚して奄美大島に流罪になるなどしますが、1860年代に入ってから藩政に復帰。やがて、幕末の動乱の中心地である京都で薩摩藩を代表する政治家・軍人として辣腕を振るうことになります。
1866年には、それまで敵対していた長州藩の桂小五郎(木戸孝允)と手を組む薩長同盟を成功させ、徳川幕府との戦争(戊辰戦争)では最高指揮官の座につきました。
明治時代に入ってからは日本初の陸軍大将となり、明治政府を代表する政治家のひとりとして活躍。しかし、朝鮮半島に対する対応を巡って対立を起こし、一線を退きます。 その後、士族(かつての武士階級)の人々が各地で起こした反乱(佐賀の乱、神風連の乱など)に触発されて鹿児島で挙兵。最大の反乱事件である西南戦争を起こします。一時は熊本城を占拠するなどして快進撃を進めますが、やがて敗北。鹿児島に撤退して自刃して最期を迎えることになります。
こうして非業の最期を遂げ、国家に対する反逆者のひとりとして生涯を終えることになった西郷隆盛ですが、その功績の大きさから死後十数年が経過した後で名誉回復の措置がなされ、現在では“偉人”のひとりとして知られるようになっています。2003年に公開されたハリウッド映画『ラスト・サムライ』では、主なモデルのひとりとして西郷隆盛が想定されました。 現在でも人気は高く、鹿児島県鹿児島市の西郷南洲顕彰館をはじめ、その足跡を知ることができるスポットには多くの人が足を運んでいます。
西郷隆盛の代表作
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『西郷南洲翁書』
西郷隆盛(南洲)は、本質的には幕末から明治初期にかけて活躍した軍人・政治家ですが、同時にいくつか書も残しています。 鹿児島県薩摩川内市の旧増田家に所蔵されている「西郷南洲翁書」もそのひとつです。「世路羊腸千里曲 巧名蝸角幾人間(世間の道はまるで羊の腸のように曲がりくねっている。そんな人間の世界で功名を上げたとしてもつまらないことである)」と書かれた掛け軸の形で残っており、豪放磊落な人柄をしのばせるような堂々たる筆致が見受けられます。
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