椿貞雄(つばきさだお)1896年–1957年
椿貞雄は、大正前期から昭和前期にかけて活躍した洋画家です。
師・岸田劉生の死で一時は画業に集中できない状態に陥るものの、渡欧をきっかけに立ち直り、創作活動を再開。持ち前の繊細さ、写実力の高さをそのままに、ヒューマニズムあふれる理想主義的な作風を確立させました。日本画と西洋画の技術をうまく組み合わせ、日本の世俗を穏やかな愛あるタッチで描きました。
また、晩年は千葉県に移り住み、図画教師として後進の育成・指導に尽力。さらに千葉県美術界の結成にも携わり、千葉画壇の発展に貢献しました。
師との別れを乗り越えて新たな画境を切り開いた洋画家
椿貞雄は1896年、山形県米沢市に生まれました。
早逝した兄の影響を受けて画家を志すようになり、18歳で上京。そこで日本洋画界を代表する画家・岸田劉生と出会い、その作品に深い感銘を受けて師事するようになります。
当時、岸田は既存の枠組みにとらわれない新たな油彩画を追求し、明治期以降の西洋画の在り方を模索していました。そのため、椿も正統派の技法を学ぶことはありませんでした。
そんな中、理想主義を掲げる芸術運動”白樺派”に影響を受けた椿は、卓越した観察眼で被写体を写実的にとらえつつも、リアリティと現実離れした理想主義的な作風が同居する独自の画境にたどり着きます。
しかし1929年、師・岸田劉生が他界。 その喪失感から憔悴した椿は、創作活動がままならない状態に陥ってしまいます。 この状況を危惧した椿の周囲は欧米への旅行を提案しますが、これが功を奏し、椿はパリで個展を開くほどに立ち直ります。 こうして岸田の死を乗り越え、本場でさらに腕を磨いた椿は、これまでにないほどのびのびとした絵を描くようになりました。以後、日本画と西洋画の技法を取り入れた独自の作風で、日本の世俗を柔和なタッチで描きます。 晩年は千葉県に引っ越し、図画教師として後進の指導に尽力。千葉画壇の発展に大きく貢献したものの、1957年、61歳でこの世を去りました。
椿貞雄の代表作
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「自画像」
師・岸田劉生に初めて会う際に持ち寄った作品です。 それまで絵画を学んだことのなかった椿でしたが、そうとは思えぬほどに緻密で正確なデッサン力と、繊細な色使いがすでに完成されています。 この作品を見て、岸田は椿を教え子として認めたといわれています。
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「春夏秋冬極楽図」
1936年に描かれた文人画です。 1枚の絵の中に、各季節に合わせた遊びをする少女たちの姿が描かれています。 山水画のような力強い筆致で描かれているものの、少女たちの表情や鮮やかな色合いの服からは温かさや柔らかさを感じ取ることができます。
そのほか、「赤土の山」「洋装せる菊子立像」などが代表作として知られています。
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