岸田劉生(きしだりゅうせい)1891年–1929年
岸田劉生は、大正から昭和初期にかけて活躍した洋画家です。
西洋と東洋の美の融合を目指し、日本画や浮世絵などの伝統的な要素を取り入れた作品を描きました。
独自の色彩感覚や構成力を発揮し、38歳という短い生涯において、多様な画風や主題に挑戦し続けたのです。
自分の感性や思想を絵画に表現することに情熱を注ぎ、日本の近代美術に大きな影響を与えました。
北方ルネサンスの感化を受けた大正の画壇の先駆者
1891年、岸田劉生は、実業家でもある岸田吟香の四男として、東京銀座に生まれました。 10代から独学で水彩画を学び、白馬会葵橋洋画研究所で、黒田清輝に師事します。 その後文芸同人誌「白樺」で紹介された、ゴッホやセザンヌなどの後期印象派たちの作品に影響を受け、画風を変化させます。
また、劉生は高村光太郎、斎藤与里らと「フュウザン会」を結成し、日本国内で大きな影響を与えました。 やがて劉生は、北方ルネサンスを代表する画家デューラーなどの、緻密で写実的な画風に興味を持つようになります。 写実主義に基づき肖像画を描くうちに、1917年に結核を患ったため神奈川県鵠沼へ転居し、戸外制作を禁じられました。 そのためモデルは自画像や妻が多くなりますが、この頃から愛娘「麗子像」シリーズの制作も始めます。 中でも「麗子微笑」は、国の重要文化財に指定されるなど、鵠沼時代は人生で最も充実した時期だったと言われています。
その後、関東大震災で鵠沼の家を失ったため、単身京都へ移り住みました。 京都での生活では、茶屋遊びと古美術品の収集に没頭し、日本画を描くことで生計を立てていました。 酒浸りの生活は続き、再起のために満州へ向かいますが、そこでの暮らしになじめず日本に戻ります。 ところが日本に帰ってから数週間で、病に倒れて38歳という若さで亡くなりました。 岸田劉生はわずか38年の生涯で、外光派から印象派、西洋から東洋、日本画に至るまで独自の表現を追求しました。
岸田劉生の代表作
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「道路と土手と塀」(切通之写生)
この作品は、1915年に岸田劉生が制作した、当時住んでいた東京・代々木の風景画です。 当時劉生は、印象派から写実主義へと、画風を変化させている時期にありました。 画面は、色彩や構図が非常にシンプルで、中央に向かって狭まっていく坂道の先には、鮮やかな青空が広がっています。 見る者によっては、道路手前の道は歪んで盛り上り、圧倒する不安や恐怖を感じさせます。 しかし、坂の向こうには何が待っているのかという、期待感も抱かせる作品です。
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「麗子微笑」
1921年に制作された、愛娘「麗子像」シリーズの一つです。 重要文化財に指定されているこの作品は、美術の教科書にも掲載されています。 レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」から着想を得たとされる、神秘的な笑みを浮かべる少女。 黒い背景から浮き出るその姿は、不気味さと魅力を同時に感じさせます。 デフォルメされた腕や手と対照的に、毛糸の片掛けは細部まで緻密に描かれており、立体感と写実性があります。
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