熊谷守一(くまがいもりかず)1880年–1977年
熊谷守一は、明治後期から昭和後期にかけて活躍した洋画家です。
50歳の頃から大成した遅咲きの画家であり、晩年には文化勲章および勲三等叙勲の内示を辞退しています。このことからもわかるように、最後まで名声を得ることに興味関心を示すことはありませんでした。
また、1929年には二科技塾の開設に携わり、以降、教育家として後進の指導に当たりました。
初期は感覚的で野性的なタッチの作品を多く描き、日本画壇を代表するフォービズム(野獣派)画家と称されるものの、徐々にその作風は落ち着き、晩年は抽象絵画に近い作風を見せています。
貧窮と闘いながら波乱万丈な画家人生を歩んだ洋画家
熊谷守一は1880年、岐阜県恵那郡付知村(現・中津川市付知町)に生まれました。
父が実業家、政治家として活躍していたことから裕福な家庭ではあったものの、その父が大勢の妾を囲い、異母兄弟を設けていたために、複雑な環境で幼少期を過ごします。
そんな熊谷は17歳で上京。父の出した条件を完璧にこなし、志していた画家の道を歩み始めました。 その後、20歳で東京美術学校西洋学科選科(現・東京藝術大学美術学部)に入学。美術にひたる青春時代を送ります。 その最中、父が脳卒中により急死。父の残した莫大な借金を背負うことになり、長きにわたって極貧生活を強いられます。
以降、仕事と画業を並行してなんとか食いつなぐ熊谷でしたが、結婚後、病を患った次男を病院に連れて行くことができず、そのまま死なせてしまいます。 この出来事に愕然とした熊谷は、その翌年に「二科技塾」の開設に携わり、教師として後進の指導に当たりつつ生活を立て直していきました。 こうして50歳を過ぎてからようやく大成するものの、名声にはまったく興味を示さず、晩年には文化勲章や勲三等叙勲の内示を辞退しています。
熊谷守一の代表作
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「陽の死んだ日」
タイトルにある陽(よう)は、貧窮のうちに死なせてしまった次男のことで、その亡骸を題材にした作品です。 穏やかな表情で描かれた陽の顔とは裏腹に、乱雑な筆致からは熊谷の悔恨の念を汲み取ることができます。 また、この作品を描いたとき、「これでは人間ではなく鬼だ」と自身に愕然とした、というエピソードが残されています。
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「猫」
1965年に描かれた作品であり、熊谷の著書『へたも絵のうち』の表紙を飾った絵でもあります。 健やかな表情で寝ている猫の様子を描いたシンプルな作品ですが、その細部にこだわりが見られ、高度なデッサン力のうえに成り立っていることがうかがえます。
そのほか、「稚魚」「ローソク」などが代表作として有名です。
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