森芳雄(もりよしお)1908年–1997年
森芳雄は主に昭和期に活躍した洋画家であり、特に第二次世界大戦後の日本洋画界を牽引した人物です。
本郷洋画研究所、一九三○年協会洋画研究所などで絵のスキルを磨いたのちに画家デビュー。国内だけでなく本場・フランスでも活躍し、日本美術界を支える名画家の1人として知名度を上げていきました。
その矢先、第二次世界大戦が勃発。これによって一時は心を折られかけるものの、再び近代美術の最前線に復帰し、2回目の画家人生を歩み始めます。
その後、創作活動に励む傍ら、挿絵を担当したり教壇に立ったりと幅広く活躍しました。
戦争による苦しみを乗り越えて画壇に舞い戻った洋画家
森芳雄は1908年、東京市麻布区(現・港区)に生まれました。
1925年、慶應義塾普通部で洋画家・白滝幾之助から石膏デッサンを学び、卒業後は本郷絵画研究所に入所。本格的に絵画を学びます。その間、東京美術学校(現・東京藝術大学)を受験するものの、2回不合格となります。
こうして東京美術学校への入学は叶わなかったものの、1928年に佐伯祐三や前田寛治たちが設立した一九三○年協会洋画研究所に入所。洋画家・中山巍に師事し、さらに絵の技術を磨きました。
その結果、努力が実を結び、1929年の一九三○協会展、1930年の二科展で連続入選。画家としての大きな一歩を踏み出します。
そして1931年、村山は単身で渡仏し、若手画家の登竜門サロン・ドートンヌ展に出品。本場・フランスでも大きな爪痕を残しました。
しかし、それからしばらくして、第二次世界大戦が勃発。 画家活動の休止を余儀なくされたうえ、空襲によって自宅が全焼。過去の作品のほとんどを消失します。 この一件によって、貧窮と精神的負担に苦しむ地獄のような日々を過ごしますが、日本国内が落ち着きを取り戻し始めた1947年、なんとか立ち直って画家活動を再開。また、書籍の挿絵を担当したり、教師として後進を指導したりと、幅広い分野で日本洋画界に貢献しました。
森芳雄の代表作
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「二人」
第二次世界大戦が終戦を迎えてから約5年。1950年に描かれた作品です。 未だ国民たちの脳裏に戦争の恐怖がよぎっていた当時の日本を象徴する1枚として、大きな注目を集めました。戦争の過酷さ、悲惨さを物語るその構図からは、国民の苦しみや悲しみといった嘆きの声を感じさせます。
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「肘をつく女」
フランスから帰国して数年後の1936年に描かれた作品です。 女性の表情などはうかがえず、濃い茶系統の色彩で机に肘をつく人を象ったシルエットが描かれています。 明るめの背景とのコントラストによって浮かび出ているようにも見える構図からは、堂々とした力強い雰囲気さえ感じ取れます。
そのほか、「うずくまる女」「くつみがきの女」などが代表作として知られています。
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