堅山南風(かたやまなんぷう)1887年–1980年
堅山南風は大正・昭和にかけて活躍した日本画家です。
花鳥風月を主題とした風景画や花鳥画を得意としており、淡く繊細な筆致で事物を写し取る手腕が認められ、近代日本画の巨匠のひとりに数えられています。画家として芽が出るまでに時間が掛かったものの諦めることなく絵筆をふるい続け、ついには日本画をきわめた努力型の人でもあります。
花鳥風月を繊細な筆致で描き続けた克己の日本画家
1887年、堅山南風は熊本県で生まれました。
幼い頃に両親を亡くして祖父に育てられた南風は、少年時代から絵画に親しみ、1909年に上京。日本画家・高橋広湖に師事します。
熊本にいた頃は書籍の挿絵や口絵を模写するなどして腕を磨いていた南風は、広湖のもとで才能を開花させますが画壇にはなかなか認められず、広湖の口利きで新聞小説の挿絵を描くなどして生活費を得ながら努力を続けました。 そんな南風の努力が実ったのは1913年のこと。文展に出品した「霜月頃」が高い評価を得て、画壇デビューを果たします。「霜月頃」はかつて江戸時代に故郷・熊本を治めていた細川家の買い上げとなり、その後の南風は細川家の後押しを受けて制作を進めることになりました。翌年には横山大観の門下に入り、その才能を伸ばします。 家・高橋広湖に師事します。
順風満帆に見えたかに思われた南風ですが、その後は労働者を描いた作品で大観の叱責を受けたり、インド旅行を経て描いた極彩色の作品が画壇に受け入れられなかったりと、不遇の時代を過ごします。 1922年、師の大観が激賞した「桃と柘榴」を完成させるまで、そのスランプは続きました。 家・高橋広湖に師事します。
これ以降は繊細な色彩感覚と緻密なタッチで描く花鳥画に境地を見出し、発表する作品の多くは高い評価を受け、実力派の日本画家として認められるようになります。 日光東照宮の障壁画を描くなどの事業にも参加。その名を知らしめます。 戦中・戦後を通して活躍を続け、戦後の1958年には日本芸術院会員となり、さらに日本美術院理事などの要職を務めるまでになります。 また晩年に至るまで旺盛な創作活動を続け、1980年に死去するまで現役であり続けました。
堅山南風の代表作
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「霜月頃」
1913年に発表された作品で、南風の出世作です。近代日本画の巨匠・横山大観が激賞したことで知られています。霜月(陰暦11月)の、紅葉が鮮やかな庭の風景を描いたものです。 上空から紅葉を挟んで庭で作業をする人たちの姿をとらえており、手前の紅葉の鮮やかな赤、そして地面の淡い色彩が豊かなコントラストを生んでいます。
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「牡丹」
タイトル通り、牡丹の花を主題にしたもので、淡く繊細な筆致で美しい花を真正面から描いています。 色の濃淡で花弁のみずみずしさを見事にとらえ、生命感にあふれる花を美しく表現しています。
その他、「春瀬」「鯉」などが代表作として知られています。
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