河井寛次郎(かわい・かんじろう)1890年–1966年
河井寛次郎は明治期から昭和期にかけて活躍した陶工であり、当時の日本の陶芸界を牽引した代表的な人物でもあります。
誰の弟子にもならず、教育機関で受けた指導のみで腕を磨いたこともあって、“新世代の陶工”として注目を集めました。
また、素朴でありながらも実用性、機能性に優れた“日用の美”を追求したことでも知られており、当時の陶芸界に多大な影響を与えました。
そんな彼の作品は今もなお高い価値を誇り、多くのコレクターから圧倒的な人気を集めています。
“日用の美”という新境地を切り開いた名陶工
河井寛次郎は1890年8月、島根県安来町(現在の安来市)に生まれました。 大工の家に生まれたものの、1910年、東京高等工業学校窯業科への入学を機に、陶芸家としての道を歩み始めます。 在学中は陶工・板谷波山の指導を受けつつ、窯業の科学的研究に励みました。 また、卒業後は京都市陶磁器試験場に入り、東京高等工業学校時代の後輩である濱田庄司とともに、さらなる研究を重ねています。
そんな強い探究心をもって創作活動に励む寛次郎は1920年、清水焼の陶工・清水六兵衛より京都・五条坂の窯を譲り受けます。 以降、この窯を「鍾渓窯」と命名し、活動の本拠地としました。 しかし翌年、東京と大阪で開催された「創作陶磁展覧会」にて、無名の陶工が手がけた、シンプルかつ実用性あふれる作品に感銘を受けます。 それと同時に、外見の華やかさばかりを意識した自身の作品に疑問を感じ、創作活動を一時中断します。
1924年、イギリス留学から帰国した濱田庄司にスリップウェア(主にヨーロッパで作られていた実用性重視の陶器)を見せられたのをきっかけに、自身の作風を一新。デザイン性よりも実用性に優れた日用品を多く手掛けるようになります。 こうして新たな陶磁器の在り方を示し、陶芸界に大きな影響を及ぼした寛次郎は数々の賞を受賞。また、海外で開催された展覧会でも受賞しており、世界的にも著名な陶工として名を馳せました。
- 1890年
- 建築業、河井大三郎の次男として島根県安来志にて誕生
- 1912年
- 来日中だったバーナード・リーチに感銘を受け、後日訪問
- 1920年
- 京都へ移住し、築窯
- 1937年
- パリの万博博覧会にてグランプリを受賞
- 1957年
- ミラノ・トリエンナーレ展にてグランプリを受賞
- 1966年
- 逝去
河井寛次郎の代表作
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「三色碗」
赤、黒、緑の三色がバランスよく彩られた素朴な作品。 また、絶妙なバランスで作られたフォルムも特徴的で、手に馴染みやすく、“用の美”を追求した寛次郎ならではの一作に仕上がっています。
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「辰砂菱花長角筥」
辰砂(着色剤として銅を含む釉薬)の鮮やかな赤が発色した、これまたシンプルかつ機能性あふれる作品。 辰砂による赤は、陶芸において特に出しにくい色のひとつとして知られますが、見事に表現されているのが大きな特徴です。東京高等工業学校在学時より、釉薬の研究に励んだ寛次郎だからこその名作といえるでしょう。 その他、「呉須筒描花文茶碗」「鉛釉白流蓋付壺」などが代表作として知られています。
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