村山槐多(むらやまかいた)1896年–1919年
村山槐多は、明治から大正初期にかけて活動した洋画家です。
洋画家・山本鼎を従兄に持ち、随筆家・黒柳朝がはとこという芸術性に恵まれた家計に生まれました。
奇抜な発想力の持ち主で、自画像や人物画を中心に斬新なデザインの作品を数多く制作しています。
また、燃えたぎるような赤を基調としたものが多く見られるのも特徴です。これは、村山槐多にとって「絵=生命」であり、その生命に血を滾らせるためだといわれています。
そんな数々の名作を描いた村山は、早くから画家としての頭角を現したものの、病によって22歳という異例の若さでこの世を去りました。このことから、“夭折の天才画家”と呼ばれています。
22歳でこの世を去った若き天才画家
村山槐多は1896年、愛知県額田郡岡崎町(現・岡崎市)に生まれました。
名付け親は、『舞姫』『高瀬舟』といった著書を手がけたことで知られる小説家・森鴎外。かつて、母・たまが森家で女中奉公していたことがきっかけとされています。
また、このように幼少期から森鴎外との関わりがあった影響か、物心がついた頃から村山は読書や詩の創作に励んでいたようです。
そんな村山は従兄・山本鼎の影響を受け、次第に画家を志すようになります。 そして1913年、上京して日本美術院に入所。絵画の基本を学んでいきました。 それから間もなくして、村山は画家としての才能をめきめきと現していきます。 1914年、「庭園の少女」で二科展への初入選を果たしたかと思えば、1915年、1917年に開催された日本美術院展覧会でもそれぞれ院賞を受賞。さらに1918年、1919年は2年連続で日本美術院試作展覧会に自身の絵を出品し、これまた受賞しています。
こうして順風満帆な画家人生を歩み始めたかのように見えた村山ですが、その終わりは突然訪れます。 もともと失恋や貧窮などによって大きな精神的ダメージを負った村山は、若くから結核性肺炎を患っていました。これが1919年に流行していたスペイン風邪によって悪化。そのまま22歳という若さで帰らぬ人となりました。
村山槐多の代表作
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「尿する裸僧」
タイトル通り、一糸まとわぬ姿で合掌しながら放尿している僧侶を描いた1915年の作品です。 他の洋画家では決して思いつかないであろう奇想天外なテーマに加えて、「僧侶が全身から赤い光を放つ」という構図が、多くの人の目と心を惹きつけます。
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「カンナと少女」
第2回日本美術院展覧会において、見事に院賞を受賞した作品です。 村山は短命でありながらも、150点近い数の作品を描いたといわれています。特に女性画を多く描いていますが、本作品はその中でも前衛的で叙情的なものといえるでしょう。 当時の美術界で高く評価されただけではなく、現代においても村山槐多を代表する作品のひとつとして人気を得ています。
そのほか、「湖水と女」「乞食と女」などが代表作として知られています。
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