今村紫紅(いまむらしこう)1880年–1916年
今村紫紅は、明治後期から大正初期にかけて活躍した日本画家です。
35年の短い生涯の中で、伝統に凝り固まっていた日本画に新風を吹き込み、その発展に貢献しました。その作品は当時、驚きをもって迎えられ、現代においても高い価値を誇ります。
そんな今村紫紅は、性格は豪放磊落、芸術に関しては過激派。「僕は今の日本画を破壊する、君たちが再建してくれ」と若い仲間たちに語りました。その言葉通り、風雲児のように短い人生を駆け抜けて古い日本画を破壊し、後進の画家たちに道を譲った……そんな生涯を送りました。
「日本画の“脱皮”に貢献した早世の天才画家
1880年、今村紫紅は神奈川県横浜市に生まれました。
絵画は15歳の頃に学び始め、当時の著名な画家・松本楓湖に師事。この頃は伝統的な「やまと絵」の模写に没頭。そのうえで自らの作品作りも開始し、早くも稀有な才能を発揮します。
18歳になった1898年、日本美術協会展で入選。盟友・安田靫彦が結成した「紫紅会」に入会しますが、自分の号と同じ名前だったため「紅児会」に変更させ、会の若き重鎮として活躍しました。
また、師匠の楓湖のもとでさらに日本画の伝統を深く学び、主に人物画の腕を磨きました。
こうして、伝統的な絵画を学び、伝統を継承した作風で高い評価を得た紫紅。
その一方で、伝統にとらわれない画風で一世を風靡した江戸時代の画家・俵屋宗達を好むなど、“日本画の革命家”の片鱗はこの頃からすでに現れていました。
そんな紫紅の革命が始まるのは、1910年代に入ってからのこと。 実業家で絵画コレクターとしても知られていた原三渓の知遇を得て、豊富な日本画・中国画のコレクションを鑑賞して研究。そんな中で生まれたのが、伝統の殻を破った傑作として知られる「近江八景」でした。 その後、三渓の資金援助で実現したインド旅行から生まれた「熱国之巻」をはじめ、紫紅ならではの作品を数々発表。30代に入って3~4年の頃で、その将来を大いに嘱望されます。 しかし1916年、深酒がたたって病気となり、ほどなくして35歳の若さで死去することになりました。
今村紫紅の代表作
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「近江八景」
8幅からなる作品で、近江(滋賀県)の琵琶湖周辺の風光明媚な景色を絵画で表現しています。
琵琶湖畔の絶景は江戸時代の画家にも好まれた主題ですが、この作品では、紫紅らしく旧時代の絵画とはまったく違うアプローチで近江八景に挑んでいます。 たとえば、近江を主題にした風景画は雪化粧の「暮雪」を描くのが“お約束”になっていましたが、紫紅はあえて夏の盛りの賑やかな風景を描きました。明るく明朗な風景が、西洋画の影響もうかがわせる筆致で繊細に表現されています。 現在は重要文化財に指定されており、東京国立博物館に所蔵されています。 -
「熱国之巻」
2巻の巻物として仕上げられた作品で、「近江八景」と同じく重要文化財に指定されています。 タイトルにある“熱国”とは熱帯地方の国のことですが、1巻目はシンガポールを、2巻目はインドを描いたものと考えられています。シンプルで大胆な構図と彩色が大きな特徴で、色鮮やかな熱帯雨林と雄大なガンジス川、そしてその周辺の生活を見事に表現しています。 1914年にインド旅行をした際の経験がもとになった作品であり、紫紅の特徴が凝縮された傑作です。
その他、「細雨」「達磨」などが代表作として知られています。
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