荒井寛方(あらいかんぽう)1878年–1945年
荒井寛方は明治・大正・昭和にかけて活躍した日本画家です。
歴史画や風俗画、仏画を得意としており、特に最盛期には仏教の経典や伝説をテーマにした作品を数多く手がけました。おびただしい数の仏画を模写することで腕を磨き、また代表作には仏画が多いこともあって、「仏画の寛方」と呼ばれることもありました。そんな荒井寛方の作品は多くが美術館・博物館に所蔵されており、高い価値を誇ります。
大正・昭和の画壇で認められた実力派の画家
1878年、荒井寛方(本名・寛十郎)は栃木県に生まれました。
父は画家で、主に提灯の上絵などを描いて生活しており、南画の画家・滝和亭に学んでいました。滝は弟子の子どもである寛方にも並々ならぬ絵の才能があることを見抜き、本格的に学ぶことをすすめます。
1899年、21歳の寛方は、滝和亭に紹介された浮世絵の流れをくむ画家・水野年方から歴史画・風俗画の教育を受けることになりました。年方もまた寛方の才能を認め、「寛方」という号を与えています。
1901年、早くも寛方の才能は大衆の知るところとなります。 この年、日本絵画協会共進会に出品したところ、二等褒状を受賞。その後は共進会に立て続けに作品を発表し、いずれも高評価を得ました。 そのかたわら東洋美術の専門誌『国華』を刊行していた国華社に入り、口絵を描いたり仏画の模写をしたりしてさらに学びを深めます。 1914年からは日本美術院の主催する院展に作品を発表するようになり、活躍します。 1916年には詩人タゴールに招かれてインドに渡り、古代インドの壁画が残るアジャンター石窟群に赴いて壁画の模写をするといった活動を通じて、仏画をよりきわめていきます。 インドから帰国したあと中国やヨーロッパにも渡り、より見識を深め、日本の古典への学びも深めました。
こうして、東洋を中心にさまざまな文化を吸収した寛方は1940年、法隆寺金堂壁画を模写する事業の主任を任され、この仕事に没頭します。 しかし残り時間は少なく、5年後の1945年、寛方は福島県で急逝。67年の生涯を閉じました。
荒井寛方の代表作
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「乳糜供養」
仏教の経典に書かれたエピソードを題材にしている作品です。 悟りをひらいた釈迦に対し、乳糜(米をミルクで煮たおかゆ)を捧げている娘・スジャータを描いた作品です。 釈迦は登場せず、きらびやかな衣装を身にまとったスジャータや彼女に従う娘たち、牛たちが描出されています。明るい色彩美と寛方ならではの様式美で描かれた作品は、日本画の伝統に縛られることなくのびのびとした快作に仕上がっています。
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「玄奘と太宗」
こちらは仏教の伝説をテーマにした作品で、『西遊記』に登場する三蔵法師のモデルになった中国の仏僧・玄奘三蔵と時の皇帝・太宗との対面の場面を描いています。 玄奘三蔵の後ろには従者たちが、皇帝の後ろには官吏や女官が控えています。ふたりの世界はくっきり隔てられているかのように、意図的に左右対称の構図で描かれています。 玄奘三蔵は仏教をより深く学ぶために、その発祥地である天竺(インド)に旅立ち、苦難の旅を経て経典を持ち帰ることに成功しました。そんな玄奘三蔵を《聖》とし、俗界の王である太宗を《俗》として聖俗の対比を描いたとされています。
その他、「羅浮仙」「龍虎図」などが代表作として知られています。
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