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国吉康雄(くによしやすお)の作品買取実績や歴史をご紹介します

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国吉康雄
1889年 - 1953年
洋画買取

国吉康雄(くによしやすお)1889年–1953年

洋画

国吉康雄は、明治後期から昭和にかけて活動した洋画家です。
17歳という若さで渡米。以降、長きにわたってアメリカを拠点に活動しています。 当時、日本とアメリカは国家的緊張状態にあったものの、その中で平和を求めて活動した社会活動家としても有名です。

そんな国吉は明朗な性格の人物で、初期は自身の性格を反映させたかのような明快な作品を制作。また、当時のアメリカにはなかった東洋的な繊細さ、素朴さも感じられたことから、一躍注目を集めました。 しかし、年を重ねるにつれて作風は変化しており、後期は不安定な構図で描かれた作品を多数発表しています。

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アメリカの地で単身活動を続けた洋画家および教育家

国吉康雄は1889年、岡山県岡山市に生まれました。 15歳で岡山県立工業学校に入学し、染料について学び始めるものの、その2年後に労働移民として単身で渡米します。その後、働いて生計を立てつつ、学校に通って学びを得る日々が続きました。 そんな中、1人の教師から画才を見出され、これを機に画家を志すようになります。 その後、ニューヨークを拠点に定めた国吉は、スクール・オブ・アート・アンド・デザインをはじめ、さまざまな美術学校で腕を磨いていき、1917年から本格的に画家としての活動を開始。いくつもの作品を創作・出品しつつ、徐々にアメリカモダニズムの作風を築き上げていきます。

こうして完成した国吉の作品は、東洋的な繊細さ、素朴さを感じさせるとして話題を呼び、多くのメディアに取り上げられました。 これによって確固たる地位を築いた国吉は、1922年に展覧会組織「サロンズ・オブ・アメリカ」の委員長に就任。また、「19人の現代アメリカ画家展」に選出されるという快挙を成し遂げます。 1933年からは母校のひとつであるアート・スチューデンツ・リーグで教師を務め、およそ20年にわたって後進の育成に励みました。

しかし、1940年代に入ると日本とアメリカの関係が悪化し、ついには開戦。これにともない、“敵性外国人”としてひどい仕打ちを受けた国吉は、平和を呼びかけるメッセージ性の強い作品を多く描くようになります。 この功績が称えられ、1952年に「現代アメリカの最も優れた10人の画家」の1人に選出されるも、翌年に息を引き取りました。

国吉康雄の代表作

  • 「果物を盗む少年」

    初期の作品であり、アメリカで名声を得るきっかけになった代表作でもあります。 茶色、黄土色を基調としていながらも、透明感、浮遊感のある質感で描かれているのが特徴。 その素朴で繊細な構図が一躍話題を呼び、国吉の地位を確立させるに至りました。

  • 「誰かが私のポスターを破った」

    アメリカの画家ベン・シャーンが描いた反ファシズムを訴えるポスターが破られる、という事件をモチーフにした作品です。 破られたポスターを前に1人の女性が立ち尽くし、憂いと哀しみを帯びているかのような表情でこちらを見つめています。
    そのほか、「カーテンを引く子供」「物想う女性」などが代表作として知られています。

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