浦上玉堂(うらがみぎょくどう)1745年–1820年
浦上玉堂は、江戸時代の中期に活躍した日本画家です。
独学で身につけたといわれる絵画の技術を駆使し、優れた山水画の数々を生み出しました。由緒ある家系に連なる武士であり、岡山・鴨方藩において高位にのぼった人物でしたが、50歳の頃に出世の道を捨てて脱藩。ふたりの子を育てながら浪々の身となって諸国をめぐるという異色の経歴を持っています。
生前はそれほど高く評価されたわけではありませんでしたが、現在では代表作「凍雲篩雪図」が国宝に指定されるなど、江戸時代の文人画を代表する人物と見なされており、その作品は高い価値を持ちます。
独学で山水画の傑作を生みだした漂泊の文人画家
1745年、浦上玉堂は現在の岡山県に生まれました。
浦上家は岡山・鴨方藩が誇る名門の一族であり、7歳にして父の跡を継いだ玉堂は丘右衛門と名乗って出世街道を順調に進みます。43歳を迎える頃には、家老に次ぐ重職である大目付に就任して藩政に携わりました。
また同時に、玉堂は音楽や絵画にも深く傾倒。参勤交代などで江戸にのぼった際には多紀藍渓に琴を学び、司馬江漢をはじめとする画家たちと付き合いを深めるようになります。 このことが影響したかどうか定かではありませんが、いずれにせよ50代を迎えつつあった玉堂は武家の役職よりも芸術を深く愛好するようになります。その衝動を抑えることができず、1794年に子どもたちを連れて城崎温泉を訪れたとき、鴨方藩に脱藩状を書いて浪人となります。 一説によると、贅沢を禁じて芸術を圧迫した「寛政の改革」をきらって隠遁したのだといわれています。 以後、藍渓に学んだ琴を爪弾きつつ子を連れて諸国をめぐり、悠々自適の後半生を送ることになりました。
絵画はこの頃から盛んに描き始め、師匠らしい師匠を持たずに独白で技術を身につけ、山水画を好んで描いています。60~70代に至っていよいよ筆は盛んになり、京都に住まいを構え、文人画家としての生涯を全うしました。
浦上玉堂の代表作
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「双峰挿雲図」
中国浙江省の景勝地・西湖と、湖を取り囲むようにそびえる2つの山嶺を描いた作品です。山の中腹に雲がかかり、幽玄な雰囲気をかもしだす姿が表現されています。 この光景は中国や日本の文人画家が好んだモチーフですが、浦上玉堂はまったくの独学で、独自の視点でとらえた“双峰挿雲”を表現しています。雄大な構図と繊細な筆遣い、水墨の濃淡によって見事な奥ゆきを生み出す手腕は高く評価されています。
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「凍雲篩雪図」
雄大な山嶺が雪に覆われ、枯れ果てた凄絶な姿を見事に表現した作品です。墨の濃淡によって、峻険な山肌が雪をまとい、厳しい寒さに耐えている様子が表現されています。 この作品は、優れた小説作品を残しつつ美術コレクションにも熱意を燃やした作家・川端康成が生前に愛好した品で、当時はそれほど重要な作品とは考えられていませんでしたが、のちに国宝に指定されました。 現在は、川端康成記念会が所蔵しています。
その他、「山中結廬図」「秋色半分図」などが代表作として知られています。
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