萬鉄五郎(よろずてつごろう)1885年–1927年
萬鉄五郎は、主に大正時代に活躍した洋画家です。
東京美術学校(現・東京藝術大学)に在学中、卒業制作として提出した「裸体美人」で名声を得たのち、画家集団「フュウザン会」を結成。洋画家・黒田清輝の影響でアカデミックな画風一色だった当時の日本洋画界に、フォーヴィスム(野獣派)という新たな風を巻き起こしました。
そんな日本洋画界に変革をもたらした萬は、荒々しく、躍動感あふれる力強い筆致で多くの名作を手がけています。 また、当時の日本洋画界では見られなかった、絵具を厚塗りにする手法を用いたことも大きな特徴です。
日本洋画界に大きな変化をもたらしたフォーヴィスムの先駆者
萬鉄五郎は1885年、岩手県和賀郡東和町(現・花巻市)に生まれました。
幼少期から絵に強い関心を示しており、14歳の頃から独学で日本画の創作を開始。さらにその2年後、水彩画のハウツー本『水彩画之栞(大下藤次郎著)』の影響で、水彩画も手がけるようになります。
また1903年、私立早稲田中学校(現・早稲田高等学校)に入学してからは絵画同好会に参加し、ここでも絵画の創作に励みました。
その後、より本格的に絵を学ぶために渡米しますが、サンフランシスコ大地震の発生によって半年ほどで帰国。東京美術学校西洋画科に入学します。その在学中、荒々しい筆致と大胆な色遣いで「裸体美人」を描き、これが高い評価を獲得。日本におけるフォーヴィスムの先駆的作品として、後世に長く語り継がれることになります。
東京美術学校を卒業した萬は、岸田劉生をはじめとする画家たちとともに画家集団「フュウザン会」を結成。そしてフュウザン会展を開き、当時の日本洋画界にフォーヴィスムという新風をもたらしました。 その後も自画像を中心に創作活動を続け、展覧会を通して世に作品を発信しますが、1927年4月、結核にともなう肺炎を患い、画家活動を中止。その翌月、41歳という若さで息を引き取りました。
萬鉄五郎の代表作
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「裸体美人」
萬鉄五郎、そして日本洋画史を語るうえで欠かすことのできない代表作です。 生前、萬本人も「ゴッホやマチスに感化されて描いた」と語っているように、力強さがみなぎる筆致、原色を用いた大胆な色遣いなど、フォーヴィスムの特徴が顕著に現れています。
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「もたれて立つ人」
日本洋画界にフォーヴィスムを取り入れた萬ですが、晩年はキュビズム(立体派)的な作風で描くようになります。 本作品もそんなキュビズム的な作風で描かれたものであり、暗色を用いた暗めの色調、繊細な筆致を特徴としています。
そのほか、「赤い目の自画像」「目のない自画像」などが代表作として知られています。
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