
田能村竹田(たのむらちくでん)1777年–1835年

田能村竹田は、江戸時代の後期に活躍した画家です。
若年の頃から中国の伝統的な文人画に憧れを持ち、中国の古典的な絵画をもとにした山水画や人物画などを描きました。精緻で流麗な描写と、風景の空気感を伝える筆致は高く評価されています。その作品は現代においても高い価値を誇り、代表作の多くが国内の美術館や博物館に所蔵されています。
豊かな教養を武器に詩情あふれる文人画を描いた画家
1777年、田能村竹田は豊後国岡藩の侍医・田能村家の次男として現在の大分県で生まれました。
侍医とはいわゆる“藩のお抱え医師”のことですが、次男だった竹田は医療の道ではなく学問の道に進みました。若年の頃から藩内で並ぶ者なしといわれるほど学問に秀でていた竹田は、藩命によってかねてから編纂が進められていた『豊後国志』に携わることになります。
一方、少年時代から学問だけでなく芸術に興味を持っていた竹田は、20歳のときには江戸で活躍する画家・谷文晁と文通して教えを請い、その才能を伸ばしていました。 1801年、24歳の竹田は『豊後国志』を完成させるために江戸に赴き、途中で大阪の美術コレクター・木村兼葭堂に知り合う機会を得て、彼のもとに集まる画家たちと交流を持ちました。また江戸に到着すると谷文晁のもとを訪れ、交流を深めます。 1803年に『豊後国志』は完成しますが、1805年には目と耳を病み、その治療もかねて長崎や京都に足を運び、それらの地において有名な学者や画家たちの知遇を得て見聞を広めました。
こうして少しずつ芸術家として成長していった田能村竹田。 本格的な絵画制作を開始するのは、1810年代に入ってからのことでした。 1813年、37歳になろうとしていた竹田は、かねてから病気を理由に願い出ていた隠居の許可が下りたことをきっかけに、20~30代にかけて学びを深めていた絵の世界に踏み込みます。 以後は岡藩に籍を置きつつ、絵画を制作したり著作を書いたりといった活動を行い、さまざまな画家と交流を持ち、弟子を取り、1835年にその生涯を閉じるまで悠々自適の後半生を送りました。
田能村竹田の代表作
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「梅花書屋図」
幅広の川が蛇行する平野に、可憐な花をつけた満開の梅の木が並び、奥には雄大な山々が連なる美しい山水風景。
その中に、巻物を手にしたふたりの人物が穏やかに語り合う書屋(書斎)があります。 梅の清らかな香りや澄んだ空気、そしてなごやかな空気感が感じられる作品です。 現在は出光美術館に所蔵されています。 -
「柳閣暁粧図」
こちらも出光美術館に所蔵されている作品で、鮮やかな緑に満ちた風景の中、邸宅の一室で朝の化粧を行う女性の姿がちらり……華やかな部屋の色彩がアクセントを生んでいます。 かつて中国において描かれた、働く女性の身だしなみを指南するための「仕女図」をもとにした作品であるといわれています。
その他、「雁来紅群雀図」「芙蓉残雪図」などが代表作として知られています。
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