
副島種臣(そえじまたねおみ)1828年‐1905年

副島種臣は、主に明治時代の初期に活躍した政治家であり、優れた書家としての顔も持っています。
政治家としては、成立から間もない明治政府で内政・外交の各分野で活躍。時に中央の政界から退くことはあってもそのたびに復帰を果たし、数々の要職で活躍しました。また同時に漢詩を詠む詩人としての顔を持ち、自らの詩などをその特徴的な書で残しています。ネームバリューのある偉人のひとりであり、なおかつ書家として優れていたということもあり、その作品は現在、いずれも高い価値を誇ります。
明治時代の偉大な政治家にして唯一無二の書を残した書家
1828年、副島種臣は現在の佐賀県で生まれました。
当時の佐賀藩は国内外の事情を学んで最先端の思想や技術を学ぶ学問が奨励されており、なおかつ父が藩校の弘道館で教鞭をとっていたこともあり、幼少の頃から学問に親しみます。10代を弘道館での学問に費やした種臣は、24歳のときに京都に留学。ここでさまざまな学者に加えて尊王攘夷論を唱える人々と親交を結びます。そして1853年、黒船来航で幕末の動乱が幕を開けると、種臣は藩の指令を受けて京都における佐賀藩の代表者となって尊王攘夷派の面々と親交を深めます。1859年には弘道館の教諭となります。その後は江戸や佐賀、京都を盛んに往来し、幕末の動乱を生き抜きます。旧幕府軍と新政府軍が砲火を交えた戊辰戦争では奥羽征討軍監を務めました。
明治維新が成立すると、その後は新しい国のありかたを進言するための『政体書』をあらわし、さらには明治政府の参与を務め、1871年には外務卿を務めるなど政府の要職に就いて活躍します。1873年には政府を二分した征韓論の論争で征韓派に立って失脚し、中央の政界からは退くものの、1879年には再び政府に戻って宮内省に努めます。晩年に至るまで、枢密院の議長や内務大臣を務めるなどして政界に影響を及ぼし続けました。
副島種臣の作品
副島種臣は、第一に明治初期の日本に欠くべからざる政治家として知られていますが、同時に優れた漢詩を詠む詩人として、また優れた書家としても知られています。 種臣の書は豪快な筆致が特徴で、いにしえの伝統を受け継ぎつつもダイナミックな風情が感じられる唯一無二の存在感を放っています。そんな副島種臣の書については、2003年には作品の数々を大判カラー図版で収録した『蒼海 副島種臣書』が出版され、2011年には種臣の書をテーマにした展覧会が佐賀県立美術館で開催されて盛況を博すなど、現在でも多くの人を魅了しています。
骨董品の買取品目一覧

※30%UP対象商品:骨董品、美術品、食器
※店頭買取・宅配買取は本キャンペーンの対象外となります。
※キャンペーンの併用は不可です。
骨董品・食器を
価値に見合った価格でお買取
作家名や詳細が不明な骨董品、食器でも
お気軽に電話・メールでご相談ください。
0120-961-491
受付時間 9:00~19:00 (年中無休※年末年始除く)
※お電話が混雑しており繋がらない場合は
大変申し訳ございませんが時間を空けてお問合せください。
はじめての方でも安心してご利用いただけます
日晃堂で骨董品・古美術品を
売るのはとてもカンタンです
-
1.連絡・持ち込み
Webフォーム、電話、持ち込みなどお気軽にご連絡ください。 -
2.ご訪問・査定
全国どこでもお伺いします。宅配・店頭買取もお気軽にご利用ください。 -
3.成立・お支払い
査定価格にご納得いただけた場合はその場で現金で買取価格をお支払いします。
買取方法~ご都合に合わせて選べる~
他店で断られた状態不良の
お品物でも
お気軽にお問合せください
独自の販売ルートを確立している日晃堂なら、以下のようなお品物でも、しっかりと査定することが可能です。
ご売却をご検討中の古美術品・骨董品がございましたら、査定は完全無料ですので、お気軽にお問合せください。
欠け
汚れ
変形
サビ
シミ
虫食い
骨董品・食器買取における対応エリア
日本全国どこからでもご利用いただけます。