菅楯彦(すがたてひこ)1878年–1963年
菅楯彦は、明治・大正・昭和に活躍した日本画家です。
鳥取生まれですが、大阪の地を愛して終生その地で暮らし、自ら“浪速御民”と名乗りました。絵画は風俗画を得意としており、旧時代の情緒が残る浪速の街や庶民の風俗を絵筆で表現しています。さらに、代表作のひとつ「春宵宣行」がフランス政府に買い上げられるなど、海外でも人気を博しました。
浪速の街を愛した日本画家にして大阪市名誉市民
1878年、菅楯彦は鳥取県に生まれました。
父は日本画家であり、生後すぐに関西に移って大阪に落ち着き、楯彦はここで成長しました。
高等小学校に通いながら父に絵を学んでいましたが、父は1890年に病に倒れ、12歳の楯彦は学校を中退して働く道を選びます。
父に学んだ絵を活かして稼ごうと考えますが仕事はなく、極貧生活の末に父は死去しました。
しかし、貧窮の中にあっても向学心を失わなかった楯彦は、血のにじむような努力を重ねて独学で絵画を学び、1899年には新聞社に勤めて挿絵画家として働きます。
また1901年からは、大阪陸軍幼年学校に出仕して美術・歴史教師となりました。
こうして安定した生活を手に入れた楯彦は、その後も画家として活動を続けます。 そして1917年、ひょんなことから知り合った芸妓・八千代との結婚を果たします。当時の芸妓は現在でいうアイドルのような存在であり、特に八千代は絵葉書のモデルにもなったほど人気を誇っていました。 そんな彼女が、それほど有名とはいえない楯彦に嫁いだことは大きな事件であり、皮肉な話ではありますがこれによって楯彦の知名度は上がりました。 さらに、もともと体の弱かった八千代が1924年に亡くなると、楯彦の名はさらに多くの人に知られるようになりました。楯彦は彼女の死をたいへん悲しみましたが、その悲しみをバネにして大作の数々を次々と世に送り出していくことになります。 こうして、代表作のひとつである「春宵宣行」が生まれました。 この作品は日仏美術展に出品され、フランス政府に買い取られて世界的な評価を得ています。
その後は大阪府文芸賞、大阪市民文化賞、日本芸術院恩賜賞など数々の賞を受け、大阪画壇における最重要の画家として知られるようになりました。
菅楯彦の代表作
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「春宵宜行」
江戸時代の浪速の街の往来を描いた作品です。 頭巾をかぶったお忍びの武士、子を連れた母、つぎはぎをあてた着物を身につけた浪人、道具箱を担ぐ職人、笠をかぶって通り過ぎる旅の2人連れ……などなど、さまざまな装いの人々が行き交う往来が生き生きと描出されています。旧時代の豊かな情緒を今に伝えるセンチメンタルな香りのする作品であり、庶民をテーマに描き続けた“浪速御民”楯彦らしさが詰まった代表作といえます。
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「桜の宮」
現在も花見の名所として知られる大阪・桜ノ宮の風景を描いた作品です。
春らんまんの野で食事や踊りを楽しみつつ満開の桜を楽しんでいる人々の姿が、明るいタッチで表現されています。川を行く遊覧船や向こう岸の桜並木も繊細な筆致で描き込まれ、思わず惹き込まれるような魅力的な世界観が確立されています。 その他、「地こく変」「月次風俗図」などが代表作として知られています。
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