
関根正二(せきねしょうじ)1899年–1919年

関根正二は明治から大正にかけて活動したものの、わずか20歳という若さでこの世を去った夭折の洋画家です。
短命であったことから現存する作品は極めて少なく、“幻の画家”とも呼ばれています。
人物画を中心に描いており、薄暗い背景にバーミリオンレッドやセルリアンブルーといった鮮やかな色を組み合わせた独自の作風を披露しました。
また驚くべきは、誰に師事することもなく、独学で得た知識のみでこの作風を確立させたところにあります。
その類まれなるセンスは一線を画しており、紛れもなく近代洋画史を代表する1人といえるでしょう。
天才的なセンスと画力を誇る夭折の画家
関根正二は1899年、福島県西白河郡大沼村(現・白河市)に生まれました。
1908年に父の後を追って上京し、東京市深川区(現・東京都江東区深川)に転居。そこで通った小学校の同級生には、のちに浮世絵師として名を馳せる伊東深水がおり、親交を深めたといいます。
そんな中、関根が絵画と出会ったのは1914年のこと。伊東に紹介され、東京印刷株式会社図案部に入社したのがきっかけでした。社内には美術雑誌などが置かれており、またプライベートで絵を嗜む社員が多かったことから、関根も独学で絵を描くようになります。 それからしばらくして、本郷絵画研究所に入所。本格的に絵画の勉強に取り組みます。 しかし、これは長く続かず、わずか数ヶ月で退所。このことについて、伊東宛の手紙には「形式的な学問を続けることが苦だった」と書かれていたようで、アカデミックな教えは自身の性に合わないと考えていたことがわかります。 その後は先輩社員からイギリス作家オスカー・ワイルドの存在を教えられ、その退廃的な思想に影響を受けて陰鬱な雰囲気の作風を描くようになりました。
1915年、16歳で退社した関根は長野県に足を運び、そこで出会った画家・河野通勢やルネッサンス大家の作品をおさめた画集に触発されてデッサン力を磨きます。 こうして飛躍的に腕を上げ、同年に開催された二科展では見事に初入選。以降、同展で入選を続け、19歳のときには樗牛賞を受賞するほどになります。 しかしその一方で、この頃から蓄膿症の術後経過の悪さ、失恋などにより心身ともに衰弱。さらには結核を患い、わずか20歳の若さでこの世を去りました。
関根正二の代表作
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「信仰の悲しみ」
19歳のときに完成させた作品であり、現在重要文化財に指定されている代表作です。 妊婦と思われる女性たちが腕を繋がれ、歩く様子が描かれています。異常で沈鬱とした構図ながら、独特な配色によって美しさも有しています。 当初は「楽しき国土」と題していたものの、伊東から「悲痛な人間の悲しみがうかがえる」と指摘されたことで改題したというエピソードがあります。
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「姉弟」
「信仰の悲しみ」と同じく、19歳のときに描かれた作品。 近所に住む子供がモデルとされており、赤子をおぶって歩く少女の姿が描かれています。 ところどころに明るい色が置かれているものの、何か思いつめているかのような沈痛な面持ちで歩く少女が印象的な作品です。
そのほか、「神の祈り」「大黒天」などが代表作として知られています。
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