
佐伯祐三(さえきゆうぞう)1898年–1928年

佐伯祐三は、大正から昭和初期にかけて活躍した絵画家です。
とはいえ、持病の結核によって30歳という若さでこの世を去っているため、画家として活動した期間は6年ほどと短く、そのほとんどをフランスで過ごしています。
そんな佐伯はパリの街並みを好んで描いており、特に閑散とした風景を暗い色調で重々しく表現した作品を多く制作しました。これには、持病で長く生きられないことへの孤独感、あるいは精神不安定な自己への苛立ちのようなものも感じさせます。 この生命をキャンバスに刻み込んだかのような荒々しい筆致の作品は強い個性を放っており、短い活動期間でありながらも多くのファンを獲得。現代においても高く評価されています。
持病と戦いつつ激動の画家人生を過ごした早逝の画家
佐伯祐三は1898年、大阪府西成郡中津村(現・大阪市北区中津2丁目)にある光徳寺に生まれました。 しかし、寺は継がずに画家を志し、中学校に上がった頃から関西美術教育の第一人者・赤松麟作に師事。その後、19歳で上京し、当時多くの著名画家を輩出した名門・川端画学校に入学します。
翌年、東京美術学校(現・東京藝術大学)西絵画科予備科に入学し、生涯の伴侶となる絵画家・池田米子と出会います。その後、学生結婚を経たのち、卒業してからはさらなる飛躍を求めて2人で渡仏しました。 フランス滞在中はフォーヴィスムの巨匠であるモーリス・ド・ブラマンクのもとで学ぶものの、「伝統的で新しさが見受けられない」と自身の作品を酷評されます。 これを機に作風を大きく転換させ、のちの激情的ともいわれる野性的な独自の作風を作り上げていきます。
それから一度の帰国を挟んで再度フランスを訪れるものの、このとき、佐伯は持病である結核の悪化により、心身ともに不安定な状態でした。 そんな中でもひたすらに作品を描き続け、わずか4ヶ月の間に100を超える作品を完成させます。 作風を変えるにあたり、当初は妻の加筆修正を必要としていたものの、この頃になると1人で満足のいく作品を描けるようになったといいます。 しかし、同時に結核や精神病が深刻化し、ついには自殺未遂を引き起こすほどになります。そして1928年、精神病院に入院するものの、それから間もなくして30歳という若さで息を引き取りました。
佐伯祐三の代表作
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「郵便配達夫」
最晩年、ほとんど寝たきりの生活を余儀なくされていた時期に描かれた作品です。 偶然佐伯家を訪れた、立派な白ひげをたくわえた郵便配達夫の姿に創作意欲を掻き立てられ、即座にモデルを依頼したといいます。 死が近づいている状況であったにもかかわらず、佐伯らしく力強い筆致で描かれました。
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「広告“ヴェルダン”」
第一次世界大戦時、フランス軍とドイツ軍の戦いの舞台となった要塞都市・ヴェルダン。 この地をモデルにした作品であり、暗い色調で街中の風景が描かれています。 作中の看板やポスターに書かれた文字は荒々しく、躍動感にあふれ、あたかも佐伯の魂が乗り移っているかのような印象さえ感じ取れます。
そのほか、「クラマールの午後」「滞船」などが代表作として有名です。
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