鴨居玲(かもいれい)1928年–1985年
鴨居玲は、昭和後期に活躍した遅咲きの洋画家です。
1928年に石川県金沢市で生まれたとされていますが、その真偽は定かではありません。出生届が出されておらず、母親に尋ねても曖昧な返答をされたことから、本人もはっきりとしたことはわからなかったといいます。
30代後半から本格的に画家を志すようになり、41歳でようやく軌道に乗り始めます。
他の画家たちに比べると少々遅咲きではありますが、インパクトのある鮮烈な作風でたちまち脚光を浴びました。
そんな鴨居は、薄暗く色味のない作品を多く描いており、これは厭世的、壊滅的な自己の脆い内面を表現しているとされています。現に、幼少の頃から泣き虫で引っ込み思案な性格だったようです。
苦痛に苛まれながら創作活動を続けた異彩の画家
1928年、石川県金沢市に生まれた鴨居玲(1927年、大阪府高槻市に生まれたという説もあります)。
終戦後に起こった芸術運動に参加し、その際に画家の道を進むことを決意したといいます。
この運動に参加後、地元にある金沢美術学校(現・金沢美術工芸大学)に入学し、絵を学びました。
卒業後は田中千代服装学院(現・渋谷ファッション&アート専門学校)で講師を務めつつ、その一方で創作活動に励みます。
しかし、当時はまだ題材や作風が固まっておらず、創作に取り掛かっても進展しない日々が続きます。 そこで、鴨居はパリやローマ、南米など世界各地を巡り、自身に適したテーマ、作風を模索しました。 その結果、自己の悩みや社会への不安など、負の感情が自身の創作の基盤になっていると自覚するようになります。 こうして創作の方向性が決まったとき、鴨居はすでに37歳。本格的に軌道に乗り始めたのはさらにその4年後、41歳のときでした。 とはいえ、日本画壇に突如として現れ、強烈なデビューを飾った鴨居の名はすぐに知れ渡ります。世間からの注目度は凄まじく、短期間で海外にアトリエを構えられるほどの額を稼いだことから、その人気ぶりがうかがえます。 しかし1985年、またしても創作に行き詰まり、また心臓疾患に苦しめられていたこともあり、57歳の若さで自ら命を絶ちました。
鴨居玲の代表作
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「出を待つ(道化師)」
生涯を通して薄暗く色味のない作品を描き続けた鴨居には珍しい、鮮烈な赤が印象的な作品です。 どこか気怠そうに立つピエロの服、および背景が鮮やかな赤一色に包まれています。 その赤からは喜びや愛情といったプラスの感情ではなく、虚無、悲哀といった負の感情が感じられます。
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「私の話を聞いてくれ」
1973年に作り上げた作品で、悲痛な思いを胸に秘めているかのような佇まいの人物が描かれています。 人物は黒のシルエットで描かれており、背景もどんよりとしたグレーで着色。鴨居らしく色味を感じさせない、不思議な魅力を放つ作品です。
そのほか、「酔って候」「群がる」「肖像」などが代表作として知られています。
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