松本楓湖(まつもとふうこ)1840年–1923年
松本楓湖は、江戸時代末期から明治・大正にかけて活躍した日本画家です。
天才的な表現力と繊細な描写力を有し、歴史画や人物画を数多く手がけました。
歴史人物画の教科書というべき「前賢故実」を描いた菊池容斎に学んで深く敬愛し、その画風を継承しました。そのために「容斎の影響から抜け出せなかった画家」といわれることもありますが、残された作品には楓湖ならではのオリジナリティが発揮されたものも多く、現在では再評価され、作品はいずれも高い価値を誇ります。
歴史画・人物画に新たな境地をひらいた日本画家
1840年、松本楓湖は現在の茨城県で生まれました。
漢方医を営んでいた父・宗庵は楓湖が画家になることに難色を示していましたが、画力がきわめて高いことを知ってその道を進むことを許したといわれています。1854年、父の後押しもあって江戸に出た楓湖は狩野派の絵師・沖一嵯に学んで本格的な勉強をスタートさせます。
3年後、一嵯が亡くなったあとは彦根藩の御用絵師・佐竹永海のもとに入門し、めきめきと腕をあげて22歳の頃には塾頭を務めるまでになりました。
しかしその後、過激な尊王攘夷思想を掲げる水戸天狗党に共鳴。天狗党が反乱を起こして幕府軍と刃を交えた天狗党の乱(1864年)では、絵筆を捨てて戦陣に加わっています。
天狗党が敗れたあとは1年間、故郷で過ごし、再び江戸に出て絵筆を手にしました。 永海のもとで塾頭を続け、さらに明治維新が成立した1868年には、永海の許可を得て敬愛する菊池容斎に弟子入り。その影響が色濃い歴史人物画を数多く描きます。 その画力の高さは容斎に評価され、その影響もあってか1882年、1887年には教科書『幼学綱要』全7巻、『婦女鑑』全6巻の挿絵を描くよう命じられ、見事にその仕事を成し遂げて世間にその名を知られるようになります。
こうして著名な画家の仲間入りを果たした松本楓湖は、明治初期の画壇で重要な役割を演じることになりました。文展では第1~4回の審査員を務め、1919年には帝国美術院の会員となります。 その間も盛んに作品を発表し、1923年に死去するまで現役であり続けました。
松本楓湖の代表作
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「武田二十四将図」
戦国時代、最強といわれた武田信玄の戦陣を支えた24人の武将を描いた作品です。
鎧兜に加えて顔を守る面頬まで付けた完全武装の板垣信方、平服ながらも不敵な面構えで太刀を拭う猛将・馬場信春、何やら巻物を見つめて冷静に思案しているらしい軍師・山本勘助など、ひとりひとりさまざまなポーズで、表情豊かに描かれています。 現在は武田家の菩提寺である山梨県甲府市の恵林寺に所蔵されています。 -
「天照大神と須佐男命」
日本神話に登場する姉弟、アマテラスとスサノオの対面を描いた作品です。
その昔、スサノオは父のイザナギに背いて黄泉の国に追放されましたが、その途中で姉に挨拶をしていこうと考えます。荒ぶる神のスサノオが近づくと天地が荒れ狂い、「私に害を及ぼす気では?」と疑ったアマテラスは弓矢を手に完全武装で弟を迎えます。スサノオは、害意がないことを示すにはどうすればいいか思案しながら彼女と対面します。 この作品は、姉弟がまさに顔を合わせたその瞬間を描いています。 最終的にふたりは和解するのですが、この作品では荒れ狂った波や雲の中で睨み合いのような瞬間を過ごすふたりの神を、緊張感たっぷりに表現しています。
その他、「神変大菩薩渡唐之図」「花籠と幽霊」などが代表作として知られています。
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