北川民次(きたがわ たみじ)1894年-1989年
北川民次は、メキシコの情熱と日本の伝統を融合させた独自の洋画家です。
アメリカとメキシコに22年間滞在し、メキシコ壁画運動の影響を受けて力強く生命感あふれる作品を描きました。
また、児童美術教育にも貢献し、美術教育の改革を目指して尽力したとしても知られます。
メキシコ壁画運動から学んだ民衆の画家
北川民次は1894年に、静岡県榛原郡五和村牛尾(現・島田市牛尾)に生まれました。 1914年には芸術の世界へ進むために早稲田大学を中退し、20歳の時にアメリカへ渡りました。 アメリカでは、舞台セットの背景や建物を描く「書き割り」の職に就き、生計を立てます。その後、ニューヨークにある美術学校「アート・スチューデンツ・リーグ」に入学。ここで社会主義のジョン・スローンに師事し、絵画の指導を受けました。 この出会いは民次にとって、民衆の生活をテーマにした力強い作風を確立するきっかけとなったのです。
1923年からはメキシコに移ります。 この頃メキシコでは、革命後の美術運動として「メキシコ壁画運動」が盛んに行われていました。 民次はこの運動に感化されて、力強く生命感あふれる作品を描き始めます。 1925年には野外美術学校の教師として児童美術教育にも携わり、子供たちに自由に表現することを教えます。 児童の作品展を開催すると、メキシコ大統領や、壁画運動を牽引したオロスコなどから称賛を受けました。 のちに、ヨーロッパ各地で巡回展が行われると、ピカソや藤田嗣治らからも高い評価を得ました。 1931年に移転した野外美術学校では、校長となり指導を続けましたが、1936年に学校を閉鎖し、42歳の時に日本へ戻ることになります。
北川民次は、日本の洋画界において独自の地位を築き、民衆の生活や文化を描くことに情熱を注いだ画家でした。 権力に屈せず反骨を貫く姿勢を見せ、作品を通じて社会への批判を表現し続けた作風は、今もなお見る者に強い印象を与えています。
北川民次の代表作
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「タスコの祭」
1937年に制作された200号を超える巨大なテンペラ画です。 テンペラとは、卵と顔料を混ぜ合わせた技法で、北川民次はメキシコで学びました。 手前には、遠くを見つめる女性たちが、奥には、楽隊や闘牛などに夢中になる男性たちが描かれています。 全体を占める暗色と、独特の遠近感を用いた構図が、祭りの華やかさとは対照的に、寂しさや不安感を表現しています。 二科展へ出品されたとき、日本画壇に大きな衝撃を与えた作品です。
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「百鬼夜行」
1973年に描かれた100号サイズの油彩画で、画面左側には、北川民次が好んでモチーフにしたバッタが描かれています。 この作品は、1970年に起こった「よど号ハイジャック事件」をモチーフにした作品です。 百鬼夜行の「得体の知れない人々が怪しい振る舞いをすること」を風刺的に表現し、政治的なメッセージが込められています。 自由と民主主義を基本的思想とした北川民次は、時代の権力や暴力に抵抗し、社会問題を題材とする表現を続けました。
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